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zoom RSS ETHNOMANIAの旅~2006夏編I(バシチャルシャ)

<<   作成日時 : 2006/08/31 00:22   >>

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オスマントルコ時代の面影を色濃く残すサラエヴォ旧市街。その旧市街の中でも、最も賑わいを見せているのがバシチャルシャ(中央広場)と呼ばれている職人街です。
15世紀、ボスニアの地に侵入したオスマントルコは、サラエヴォをボスニア州の州都として統治しました。
もともとカトリック世界と東方正教の狭間にあったこの地では、キリスト教ボゴミール派が広がっていました。しかし、ボゴミール派は双方から異端視され、肩身の狭い思いをしていました。オスマントルコがこの地を支配した時、彼らはイスラームに改宗する道を選びます。三者に加え、スペインからはユダヤ教徒も渡ってきます。歴史上、異教徒に寛大であったイスラーム国家の下で、カトリック教徒、正教徒、ムスリム、ユダヤ教徒は平和裏に共存し、こうしてボスニア・ヘルツェゴヴィナの地では、複数の宗教が共存する形となりました。もともと同じスラヴ人である前三者の違いはその宗教のみです。同じようにオスマントルコに支配されたセルビアでは、ムスリムは支配者のトルコ人だけだったため、彼らが去った後、その地にイスラームは根付きませんでした。それに対し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは現地の人々がイスラームに改宗していたため、オスマン朝の支配後にもイスラームの伝統・文化が残る結果となりました。(参考文献:「旅名人ブックス クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ アドリア海の海洋都市と東西文化の十字路」/日経BP社)
かつての大帝国が残した豊穣な文化の跡を、バシチャルシャでは様々な場所に発見することになります。オスマン帝国は、征服地や周囲の様々な国の文化を消化吸収し、豊穣な文化を築いていきました。その文化は私の印象では華やか、かつ男性的であったと思います。
そのオスマントルコの文化が、もともとこの地にあった独自の文化とブレンドされ、(私の印象ですが)少し素朴で優しい感じのするボスニア文化が生まれたように思います。それらの多くはあまりにオスマントルコ的であるため、ボスニアらしさを発見することは非常に困難ではあるけれど、確かにトルコ的でない何か(それを先ほどは素朴さ・優しさという言葉で表現したのですが)を見ることができるように思いました。
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バシチャルシャの広場にあるモスク。この正面あたりにセビリ(水飲み場)があります。
モスクのドアのところにひとりの老人が長いこと座り込んで物思いに耽っていました。おじいさんは、赤いトルコ帽を被っています。モスクの開いたドアからは、野良猫がのんびりと歩き出てきました。空はあいにくの雨模様。降り続く雨の下、おじいさんは濡れることも気にせず、ずっとそうしていました。
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燻されたような渋い赤色の屋根瓦と、低い軒先が印象的なバシチャルシャの木造家屋。
雨に濡れた石畳の放つ鈍い光と相まって、全体で中世風の雰囲気を作り出しています。
居並ぶ土産物屋の軒先では、突然降りだした雨で雨宿りする人の姿が多く見られました。
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路地へ一歩足を踏み入れると、このような伝統工芸品を売る店が軒を連ねているのを見ることができます。他のイスラーム都市と同様、その並び方は同業者が隣り合う形で、業種ごとにおおよそ区分けされています。上の写真の一帯には絨毯屋が散見されました。トルコ風のキリムや精緻な柄の絨毯が軒下に吊るされていてとてもカラフル。今まで訪れた国では絨毯屋の近くを通ることに、多少緊張を覚えていた私。なぜなら彼らはとても商売熱心だから。でも、ここサラエヴォでは人々はとても控えめで、店に入らずこうして写真を撮ることにも私はなんら躊躇いを覚えずに済みました。まあ、イスラーム商人との闘い(笑)が楽しみのひとつでもあるので、少し物足りなくはありますが・・・。ちなみに、お土産物の値段の交渉は、お店にもよりますがあまりできない様子でした。交渉しようとすると、「うちはfixed priceだ」と言われたお店もありました。
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軒下のカラフルな石畳。家の土台の上から数箇所飛び出ている木材は腰掛用。お店によっては、この木の棒に横板が敷設され、ベンチ状になっていて、そこに腰掛け、日がな一日トルコ・コーヒーを楽しむ人々の姿が見られました。のんびりとした商売の様子が伝わってきて、こちらもなんだかゆったりとした気分になりました。
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そのトルコ・コーヒーを淹れる道具。
本場のトルコ・コーヒー、はたまたグリーク・コーヒーと同じく、アルミ製や真鍮製の小さな湯沸し用の鍋で直接火にかけコーヒーを沸かします。この小さな鍋、ぜひお土産に買って帰りたかったのですが、あいにく土産物を買う時間は殆どありませんでした。ちなみに、街角にはこうした出店も多く見られましたよ。
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こちらはドア・ノブ屋。
他にも金製品(アクセサリー)を扱う区画や、洋服ばかりを扱う店、額縁屋など、さまざまなエリアがあってそぞろ歩きを楽しめました。ただ、もともと時間があまりなかった上に、雨に降られて軒下を雨宿りしながらの移動だったので、圧倒的に時間がたりず、ちょっと残念でした。それと、『地球の歩き方』で写真が載っていた民族楽器屋は見つけることが出来ませんでした。残念!
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金製品屋の一画の正面にあった屋内バザール。イスタンブールのグランド・バザールのミニ版っていう感じでした。ここにはわりとたくさんCDやカセットテープを扱ってるお店がありました(後に紹介予定)。

バシチャルシャの周りには、かつての隊商宿ハン(キャラバン・サライ)を利用したレストランや土産物屋もいくつかありますし、ほんの少し足を延ばせば周囲にはオスマン時代の家屋(こちらは後に「世界の路地」シリーズででも取り上げますね)や、セルビア教会、シナゴーグまでも散見でき、まさに多文化の混淆した美しい街並みを目に収めることができます。

この魅力的な街、サラエヴォ、次回は新市街の様子をお伝えする予定です。

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コメント(3件)

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ellyさん、こんちは。
バシチャルシャ、舌噛みそうな名前ですが、長〜い時間とともにさまざまなものを擁しているんであろう、サラエヴォの古い町並みについて知ることができました。
とくに上から2枚目の写真ですが、こういう風景、僕はTVでも映画でも写真でも絵でもDVDでも、もちろん実際にも見たことがない風景でしばらく見とれておりました…。
石畳は欧風なのに、右側に写る軒先の様子はどことなくアジアな感じ。しかも奥の建物のドーム状の屋根、これはイスラム教のモスク…!? いいですね〜、こういうカルチャーショックな風景を眼前に圧倒されてみたいです。
そして旅のメモに「しばし、呆然…。」と記す。そして、自分が流浪の民だという感傷に浸る…。……何書いてんだ父ちゃんは。
それにしてもドア・ノブ屋って…、ねぇ? 繁盛してるんでしょうか?
questao
URL
2006/09/02 13:57
こんにちは。
バシチャルシャ、言いにくいですね〜。
たった一枚の写真からいろいろと感じ取ってくださってありがとうございます!感じる心が鋭いquestaoさんが訪れていらっしゃったら、もっともっとおもしろいレポをお書きになることでしょう。そして流浪の民だという感慨に浸る…。いや、これ旅する上で重要な感情のひとつだと思います。
バシチャルシャ、おっしゃるとおりヨーロピアンな風景とアジアンな佇まいが混在している魅力的な空間だと思います。軒の低い木造家屋群は、石造りの建物が主のヨーロッパにおいて日本人なら誰もがほっとしますよね。訪れたことはありませんが、トルコの世界遺産の街サフランボル(やはりオスマントルコ時代の家屋が残る街)も、こんな雰囲気なのでは?と思っています。恣意的でなく偶然に切り取られた一枚の写真からだけでも、サラエヴォの街のミクスチャー性が垣間見られておもしろいなと思います。まさに文明の十字路ですよね。そして読んでくださる方にその様子が伝わったならとても嬉しいことです。(続く)
elly→questaoさん
2006/09/03 23:40
ドーム状の屋根ですが、はっきりは分かりませんが隊商宿(ハン)の跡なのではないかと思います。街中にいくつか残っていて、レストランや土産物屋として利用されていましたから。
職人街を歩いていると、こんなの売れるんかいなといらぬ心配をしてしまうものがたくさん。でも、観光地の土産物と違ってそれらのひとつひとつが手を抜くことなく作られた逸品だったりして感動します。それに、そういった役に立たなそうなものこそ、旅人にとってはおもしろかったりしますよね。

elly→questaoさん
2006/09/03 23:41

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