ブーシェフル第2夜。それは、熱狂的で生のエネルギーに満ちた海辺の音楽と、気さくなジプシー・ミュージシャンとの出逢いにより、今後の取材の成功をも予感させてくれる夜となりました。しかし、一夜明けてみると、またしても熱帯性の気候に呼応するかのような気だるい午後が、私たちの前に待ち受けていました。ともすると、限られた時間を無為に過ごすことに我が身を順応させてしまいそうになる危険性を孕んだ午後・・・。正直、当てにしていた大物ジプシー・ミュージシャンA氏の取材が叶いそうにないと解った今、今後どういったプランを立ててブーシェフルでの時間を過ごすかが悩みの種ともなっていました。 唯一頼りになりそうなブーシェフル音楽グループのメンバーたちも、さほどロマについて詳しいわけではないようでしたし、ウィーンの大学生を含めた音楽通の若者たちについても、実はほんの少しだけロマに対して偏見を抱いているように感じられる言葉が彼等の口から聞かされていたのです。自らがロマであるザルギャルたちも、自分たちとルーツを異にするロマに関しては、相変わらず我関せずといった姿勢を貫いているように見えました。 しかし、事は自ら良い方へと進んで行ったのです。いや実際には、天の恵みとしか思えないような出来事の裏側には、紛れも無く「人の力」が働いていました。 イランでの「ジプシーを巡る旅」の導入部分でも書いたことの繰り返しとなりますが、結局は親切で世話好きなイラン人たちによって随分と助けられていた事実にふと気付かされる瞬間がやってくるのです。 午後を大分過ぎてから、どういったわけかミュージシャンA氏が取材の申し出を受ける旨をアリレザに伝えてきました。ただし、取材場所として、私たちが滞在するホテルを指定してきました。 そして、A氏本人の言ではなかったのですが、彼等の祖先や過去については極力訊ねず、あくまでもミュージシャンとしてのA氏に取材をしてほしいとのことでした。周囲にいるA氏と同グループで活躍するミュージシャンたちの間でも、A氏がロマであることは周知の事実となっているので、ロマであることを世間に隠しているというわけではなかったでしょうが、その言の背後には何かが潜んでいそうだという気がしました。 A氏は、楽器を入れたケースを携え、前の晩快く演奏を聴かせてくれた息子さんのH氏を伴ってホテルの部屋に現れました。A氏たちの過去や出自については基本的には触れないようにとの忠告があったので、取材の質問は慎重になされました。しかし、質問を始めるよりも前に、A氏の方から、自らのミュージシャンとしての人生、海外での公演についてなど、饒舌に語り始めました。そして、確か関口さんの質問に答える形だったと記憶しますが、自らの父親もミュージシャンであったこと、家族の中に、他にも一人だけミュージシャンがいたこと等を語り始めました。この時点で既に、私たちにはA氏がロマのどのグループに属するかということは解っていたし、そのグループが、少なからず差別を受けている存在であろう現実は承知していました。そして勿論ふたりのザルギャルも、その事実は知っていたし、自分たちは明らかに彼らとは違うという意識が、シーラーズでの出来事に続き働いていたかと思います。 しかし、過去について触れずに慎重に取材が進む中、ヌスラットが急に熱弁を奮い始めました。 その内容の一部は、「新たなジプシーとの出逢い」という記事でも書いたこととかぶりますが、イスタンブールでのロマ会議で提示されていたステレオタイプのロマ像と実際の自分たちをとりまく環境との間に存在するギャップにより生じた違和感、それにより少なからずプライドを傷つけられた事実について、でした。 そしてA氏に向かい、「自分がロマであるということに関して、世間に対し自信を持って声を挙げなければならない」と力説し始めたのです。「ヌスラット、いよいよ中東のロマのリーダーとしての本領発揮か!?」と思われた感動的な瞬間でした。 ・・・が、実際に後に続いた台詞は、「自分たちは世間に誇れる仕事を持ち、堂々と胸を張っていられる立場にいるのだから、貧しい他のロマたちとは違うということを世間に伝えなければならない」・・・という要旨だったわけで、結局ロマ自身によるロマへの差別を感じさせられる台詞が続いたわけです。ちょっと複雑な気持ちにこの時はなったものの、この台詞がもとで、一種の取材のタブーのようなものがほんの少し崩壊し、A氏の取材に対する姿勢が変わるきっかけとなったのは確かでした。 突っ込んだ部分まで聴きだすことは不可能でしたが、ひととおりA氏とH氏から話を伺った後、いよいよA氏が、空気を抜いて平らになったネイ・アンバーンを取り出し、竹で出来たリードの部分を羊皮に取り付け、演奏の準備を開始しました。演奏を前にして立ち現れた、辺りに漂う独特の緊張感と、A氏という大物ミュージシャンに払われる無言の敬意が、その場に張り詰めた雰囲気をもたらしました。 ネイ・アンバーンの演奏を実際に見聴きする機会なんてまずないのが普通でしょうが、もしネット等で演奏シーンに幸運にも巡りあえた方は、きっとその独特の奏法に驚かれることと思います。前回も書いたとおり、私は楽器についてはかなり無知ですし、説明を受けた後でさえも飲み込めていない部分が多く、この場でうまく文章を構成する自信がありません。勿論、その力量もありませんし、下手な文章を並べたてるつもりはそもそもありません。ぜひ関口さんのラティーナでの連載を楽しみにして頂きたいと思うのですが、ただひと言述べるとすれば、A氏の演奏には、代々息を吹き込まれてきた過去からの遺産としての楽器の重み、彼の遺伝子にしっかりと染みこんでいる音楽性の発露を感じさせられずにいられない、厳粛なムードが伴っていた、とだけ記させてください。 その後、結局A氏が自らの家へ私たちを招待してくれることになりました。 大家族のA氏の家には、女性を始め子供達の姿もたくさんあり、誰と誰がどういった関係か、その探りを入れるだけで、多くの時間を費やしそうでした。 A氏の家では、基調な資料類に触れたり、また新たな楽器との出逢いもありました。 この変わった形の楽器がそう。 この楽器は、アフリカに生息するアンテロープの角をくり抜き作られた吹奏楽器で、前回述べたアーシュラー、またはアルバインの儀式の際に、ノウへハーンの歌、あるいはダンマームと共に演奏に用いられるとのことでした。名前はブーグ。ブーグとはペルシャ語で「ホーン(角)」のこと。 中身をくり抜く方法など、楽器の造りはけっこう衝撃的なのですが、単純な構造のこの楽器、音を出すのは案外難しそうでした。(関口さんはさすがにすぐに要領をマスターされ音を出していました。ヌスラットも数度目のチャレンジにて音を出すのに成功!)この楽器、原始的で非常に大きな音が出ます。アーシュラーで用いられる楽器は、野外での演奏な上、熱狂的な人々の雑踏の中で奏でられる音楽のため、基本的に大太鼓や吹奏楽器など音の大きな楽器となります。 そしてA氏のお宅で暇を告げる時に、自らの祖先の「来た道」を連想させてくれるような重大な発言が、あまりにもあっけなく彼ら家族の口を突いて出てきたのです。その発言に、如何程の信憑性があるかはなんとも言えませんが、もしその発言に多くの真実が含まれるとすれば、それはジプシー研究にとって大きな意味があるのではないかと思われます。 そして、前日の夜のライブによる興奮も覚めやらぬ中、この夜も熱狂的な宴へと私たちは導かれます。 最初の日の夜から毎回ホテルに足を運んでくれていたミュージシャンG氏を始め、若きザルブ&ティンポプレイヤーや、熟練の(?)歌い手が加わった野趣溢れる宴。 この夜は、文化遺産にでもなりそうな、由緒ある、築100年以上のアラブ風建築のお宅に招かれ、演奏を聴くことになりました。ミュージシャンの中には、残念ながらロマは含まれませんでしたが、その夜集まってくれた人たち皆が、随分厚意的に様々な情報を提供してくれようとしている様子が伝わってきました。 興味深かったのは、40年ほど前に撮影されたアーシュラー映像の上映。 その中に移っている映像は衝撃の連続で、貴重な映像であることは一目瞭然でした。 まず、儀式でダンマーム(両面太鼓)を叩く多くの人が、明らかにアフリカから来た黒人であること。実際、ブーシェフルには、イランをイギリスとロシアが分割していた時代に、イギリスによってザンジバルから多くの黒人奴隷が連れて来られた過去があるのです。その事実は、この旅に出る以前からも聞きかじっていた話ではあったのですが、見るからにアフリカ起源であろうこの楽器を、実際に黒人演奏家が演奏しているそのシーンは、他のイランの地域的イメージとは全く相容れない不思議な映像としか言いようがありませんでした。 そして、圧巻なのは歌い手ノウへハーン。アーシュラーの儀式で詠われる歌は、殉教者ホセインの死を悼み、その悲劇的な死に自らの想いを重ねるよう人々を促すのが目的。力強い朗誦の内に見え隠れする拭いようのない悲劇の様相は、儀式の最中、シーア派の世界に生きる人々の心をひとつにまとめる力を持つわけですが、その感情移入の度合いは、ノウへハーンの力量に多分に負っていると言えます。このフィルムの中でホセインの悲劇を歌っていたのは、有名なジャハーンバフシュ・コルディザーデという人(Mahoorから出ているアルバインのCDにも収録されています→こちら)。この夜の話では、現在イランで一番の歌い手と言われているシャジャリアンに、「300年にひとりの歌い手」と言わしめた歌い手なのだそう。コルディザーデ氏の風貌も、明らかに黒人の血が混じっていると思われる、イランにおいて南部以外では決して出会うことが出来ない顔立ちでした。 この後に始まったライブは、前の晩同様・・・とは言っても、今回はネイ・アンバーンではなく、G氏によるネイ・ジョフティのインプロヴィゼーション・ソロで始まり、ザルブ&ティンポが加わり、ハンドクラップ、そしてコール&レスポンスが被さっていくスタイル。この夜は時間を追うにつれ、次から次に来訪者がドアを叩き、気が付けば完全「男部屋」状態に。しかも若者率がとても高かったのです。私の中では、ブーシェフルの音楽はどこまでも「男臭い」音楽として残っているのですが、きっとこの状況も、そういった印象を築く上で大きな影響を与えたのでしょう。後になってみると、その場に自分がいたことがなんだかとても不思議なことに思われました。 ブーシェフルでの調査は最初から最後まで、無駄に終わってしまう危険を孕みつつも、人々の助けを得てなんとか成果を得つつ終了にこぎつけました。しかし、この後にもやはりちょっとした問題が起こったのです。それは、ブーシェフルからテヘランに戻る飛行機の便が飛ばなくなるという事態でした。正直、イランで飛行機が遅れることにはもう慣れつつありました。イランでは経済制裁による飛行機の数の少なさ、機体の古さにより、一旦ひとつの機体に故障が出ると、別の機体の準備に時間がかかり、タイムテーブルの修復に膨大な時間を要することになります。幸い(?)にも、この日は7時間の遅れで済みました。 いや、何もしないで7時間待つって、実は相当しんどいわけですが、この「7時間」のお陰で、夜の空港でまんじりともせず過ごす私たちに、最後の最後になってまたもや重大な情報がもたらされることとなりました。 その情報は、私たちの様子を心配して空港に駆けつけてくれたネイ・アンバーン奏者N氏によってもたらされます。 それは、関口さんがおっしゃるには、とても驚くべき事実だということ。なぜその場になるまで、N氏がその発言を控えていたのかなど大きな謎も残ったものの、これから先、この地ではまだまだ調べなければならないことが山積みなんじゃないかと、今後に対する期待を抱かせてくれるに十分なしめくくりとなったのです。 旅の終わりを意識することは、常に、とても大きな喪失感に見舞われることを意味します(少なくとも私にとってはいつもそう)。この日、空港での長い時間を経てようやく疲れた身体でテヘランに到着した時に、私が真っ先に抱いた感情も、やはり「虚無感」のようなものでした。実際には、この時「ジプシーを巡る旅」は、まだテヘランでの数日間を残していたし、春を向かえノウルーズ(新年)前で賑わうテヘランの街中の活気に満ちた様子は、ともすれば閉じてしまいそうになる心を、否が応でも開かせてくれる効果があるはずでした。それでも私が抱いてしまったこの負の感情は、絶えず「旅」を求めてしまう人間の抱える「宿命」のようなものだと言えるのかもしれません。 ブーシェフルのような開放感溢れる海辺の街から、高い山に囲まれた閉鎖的なテヘランに舞い戻ってきたという事実も、自分の感情の上にいくらか作用していたのかもしれません。 しかし今回唯一いつもと違ったのは、長い間意識的に自分の中に眠らせてきた様々な好奇心や可能性が、旅をすることによって、長いブランクを経ながらも徐々にその自我を目覚めさせていったということでしょうか。 こんな個人的な感情の発露を、「ジプシーを巡る旅」のしめくくりとして記すのは、とても可笑しな話ですけれど(笑)。 現在のロマの息遣いを確かめるために様々な場所を巡り、ロマとの交流と彼等の話を通し、彼らの足あとを辿る時間旅行に出かける経験は、人に、その後どんな影響を及ぼすのでしょう。 この旅から帰って一ヶ月以上経つ今も、そして、この旅日記を終了させようとしている今でさえも、私は混乱した頭と感情を抱えています。 この旅において、「人」から与えられたものの多さを実感するにつけ、逆に自分の側が与えられるものは果たしてあるのだろうか、などと自らを省みて、変な自我意識が芽生えてしまっている自分を恥ずかしく思ったりします。 今は整理しきれないこの気持ちの続きを、いずれまた何らかの形で公開する日が来るかもしれません。 おしまいに、様々なチャンスと知識、また経験の機会を与えてくださった関口義人さんに、この場を借りて改めてお礼を申し上げたいと思います。 関口さんのラティーナでの連載『虚無への巡礼- オリエントを迷走するドムの軌跡を追って』は、既に4月20日発売の5月号において今回の取材への序章が記されていますし、今月24日(土曜日)には、渋谷UPLINKにて今回の取材のトルコ編が、映像&トークを通して紹介されますので、お時間がある方はぜひ足を運んで下さいね。 写真1:「完全男部屋」での熱い宴。しかし男臭かった(笑) 写真2:A氏のネイ・ジョフティー。装飾も美しい。 写真3:奇妙な形の楽器、ブーグ。 写真4:アーシュラー、アルバインで使用される楽器のミニチュア。ブーグ、ダンマーム、センジー(ジルのような楽器) 写真5:G氏のネイ・ジョフティー |
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わ〜、本当に密度の濃い旅でしたね!お疲れ様でした&シェアしてくださってありがとうございました☆ |
yuu 2008/05/05 06:36 |
ついに旅日記終了なのですね。旅日記って膨大な写真と記憶の整理が大変ですよねぇ…。私はいつも挫折(> <)おつかれさまでした。 |
wacky 2008/05/05 15:43 |
いやいや、5/2の朝日、ロマの記事を読み、こうしてこちらへ伺うと、これは又読みたくなる本がごっそりありそうだ…と、ため息。 |
碧 2008/05/05 22:10 |
>シェアしてくださってありがとうございました |
elly→yuuさん 2008/05/05 22:10 |
なんと!3箇所にもコメントを入れてくれてありがとう!元気にしてますか? |
elly→wackyさん 2008/05/05 22:21 |
最近、碧さんがすっかり「ジプシー」の世界にはまってくれつつあるような(笑)。 |
elly→碧さん 2008/05/05 22:30 |
はまりたいところ(というか、元々興味はあったのですが、アンダルシアでイスラームにぶつかってしまったのですよ!)なのですが、目下、脳内にそのスペースなし(笑) |
碧 2008/05/06 23:18 |
アンダルシアでジプシーと繋がるじゃないですか!(笑)。 |
elly→碧さん 2008/05/07 22:27 |
MahoorのArbaeen in Bushehrですが、音で聞く限りでは、イエメンや(意外に思われるかも知れませんが)東方系ユダヤの典礼歌(手拍子入りコール&レスポンス合唱の)にも似て聞こえます。しかも興味深いことに、ブーグという角笛、ユダヤのショファル(Shofar)にそっくりですね。ショファルは音程が定まらないようにわざと作っているのではと思えるほど、不可思議な音が出る笛です。同じ南イランでもザールの音楽などは、もっとストレートにアフリカ的に聞こえました。(遅レスで済みませんw) |
Homayun URL 2008/05/08 19:35 |
すみません!書き込みをいただいていることに気付いていませんでした。 |
elly→Homayunさん 2008/05/10 17:22 |
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