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zoom RSS ジプシーを巡る旅(ブーシェフルの夜)

<<   作成日時 : 2008/05/03 01:19   >>

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画像ブーシェフルに着いた翌朝、私たちはB氏等に紹介してもらった「ジプシー・ミュージシャン」からの連絡を待ちました。前の日の晩の打ち合わせでは、この日ミュージシャンが私たちの滞在先に現れてくれる予定だったのです。しかし時計の針が進んでも当のミュージシャンA氏が現れる気配はありませんでした。電話番号を伝えられていたアリレザに連絡を取ってくれるよう頼んだものの、「やる気」消失気味(?)のザルギャルたちは、なんだか気が進まない様子でした。

それでもA氏へ電話連絡を続けてくれたアリレザが言うには、どうも電話が通じない模様。それというのも、この日はイランの国会議員選挙の日で、昼間は皆投票に出かけている可能性があると言うのです。シーラーズでのザルギャルたちの「選挙」に対する消極的な姿勢を見ていた私には、いそいそと選挙会場へ向かうイラン人の姿は想像が出来なかったのですが、結局彼らが言うとおり、夕方までただ待つしかなという状況になってしまったのです。
ここでも観光を希望する二人のザルギャルと共に、午前中はホテルから旧市街が位置する方面へ向け、徒歩で海沿いの道を歩いていきました。シーラーズに続き、なんだかまたしてもダラダラなモードに陥りつつあるこの状況に、関口さんと私は少なからぬ危機感を覚えていました。

そのまま何をするでもなく半日を過ごし、やはり夜も近くなった頃でしょうか。どういった経緯だったか今となっては忘れてしまったのですが(おそらくテヘランへ発ったB氏が連絡を取ってくれたんだったと思いますが)、現在、民族音楽学をウィーンで勉強しているというブーシェフル出身の若者とその友人、それから前の晩もホテルに出向いてくれたミュージシャンのうち2人が、突然ホテルに現れたのです。
ここで、事態はまたしても急展開を迎えます。イランでの調査は、いつも夜になってから何らかの良い展開を迎えるというパターンを繰り返したと以前の日記でも記しましたが、ブーシェフルでの日々は、まさに毎日がそんな感じで過ぎていったのです。
彼らは、ジプシー・ミュージシャンのA氏とは逢えたのか?と私たちに尋ねます。そして会えなかった旨を伝えると、なぜか訝しそうな顔をしていました。そして、今からA氏の自宅を直接訪れてみようということに。
ウィーンで勉強中の若者B氏は、良い意味で西洋化されているところがあって、なんとなく事がスムーズに展開しそうな気配をこの時には感じました。

A氏の家は、ブーシェフルの市街からさほど離れていない場所に位置していました。
しかし、A氏宅を突然訪れた私たちは、暖かく迎えられるどころか、明らかに迷惑がられているという印象を、この時には受けたのでした。

その理由は後に述べるとして、そもそも、A氏も奏でるブーシェフルの音楽がどういったものかということを先に説明しないといけなかったかと思いますので、ここで音楽について簡単に記したいと思います。

ブーシェフルの音楽は、この街の地図上の位置に、その大きな特徴を負っていると言えます。ペルシャ湾に面し対岸にアラビア半島を臨み、海を通してアラブ諸国のみならず古くからアフリカ大陸の国々やインドとの交易を持ち、商業の面のみならず文化的な面でも様々なものが混淆し発展して行った歴史を、ブーシェフルは抱えています。そして内陸に面した側では、イラン南西部という場所がら、北からこれまた個性的な文化を持つ遊牧民族ロル(ロリー=ロレスターンの人々)もこの地に南下してきて、港町の文化に様々な影響を及ぼしました。そして先日少し触れたように、ペルシャ湾岸の温暖(というか真夏は相当暑いはず!)な気候を求め、冬を過ごすための宿営地として、イラン国内の様々な遊牧民族がこの地を通り、そして先に述べたよう、ビジネスでは国外からも民族の波が押し寄せるという、現在はこじんまりとまとまったこの小さな街の外見からは想像も出来ないほど、ダイナミックに文化がぶつかり合い、そしてお互いに溶け合っていった歴史を持つ、エキサイティングな海辺の街なのです。今書いたことは勿論、音楽にも当てはまっていて、そのリズム、旋律、楽器、演奏者、舞踊など全てにおいて、これらの要素のミクスチャーとなっています。使用される楽器についてはこの後少しずつご紹介したいのですが、そもそもブーシェフルの民俗音楽とされているものは、本来、宗教儀式や結婚式において奏でる音楽として発展していったようなのです。宗教儀式で言えば、「カルバラーの悲劇」で有名な、イマーム・ホセインの殉教を悼む「アーシュラーの儀式」(つまりホセインの殉教日)から40日目の「アルバイン」の日の音楽が、ブーシェフルの音楽としては有名なようです(このCD、ZeAmiさんでも扱われています→こちら)。このアルバインの音楽では、ノウへ・ハーンという歌い手に伴奏する形で、両面太鼓(ダンマーム)が入ります。または、割礼の儀式で奏でられる祝いの音楽もあったりしますし、勿論、結婚式では速度の速い陽気なダンス・チューンが奏でられます。こちらでは、後でご紹介するネイ・アンバーン、ネイ・ジョフティという吹奏楽器と太鼓類が主に使用され、聴衆のハンドクラップが、そしてコール&レスポンスが、音楽が盛り上がるにつれそのリズムに被さっていきます。
それぞれの音楽については後にも再度書きたいと思っているのですが、こういった混淆の音楽を奏でるグループに、ジプシー・ミュージシャンが数名所属し、イランの音楽文化の紹介として、海外各地で公演を行っているという事実こそが、これまたエキサイティング!なわけです。
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さて、このミクスチャー音楽を構成する上で、中でも非常に重要な楽器であるネイ・アンバーン(羊皮で出来たガイタに似る吹奏楽器。私は楽器については詳しい説明ができませんので、ご存知の方、あるいは関口さん、よろしければ詳しい&正しい説明を加えてください!)の奏者A氏の演奏と話を、ぜひ聴きたい!と思って、押しかけ取材(?)を決行したわけですが、その夜は無残にも(笑)、取材を拒否されてしまいます。それには実は理由がありました。A氏はその時、親類を数週間前に亡くし、喪に服している状態でした。そういうわけで、家の中で陽気な音楽(基本的には、ブラックアフリカの要素が強い、結婚式向けの明るい音楽が多い)を奏でるわけにはいかない、というのがA氏の言い分でした。
A氏の言うことは、至極尤もな話です。しかし、あわや取材も暗礁に乗り上げるかというところで、またしても助け舟が出されました。なんとA氏の息子さんであり、これまた同じグループに属する打楽器プレイヤーのH氏が、代わりに演奏を聴かせてくれることになったのです。但し、やはり家の中で奏でるわけには行かないということで、私たちは急遽、ウィーンの大学生B氏のお宅にお邪魔して、演奏を聴かせてもらうことになりました。
そして、一緒に訪れていたミュージシャンのうちの一人(しつこいですがジプシーではない)N氏が、一緒にネイ・アンバーンを演奏してくれることになりました。

訪れたB氏のお宅は、アーティスト一家で、家の中にはところ狭しとコンセプトに溢れた絵画や彫刻作品が展示されていました。それらは、その作品をひと目見ただけで、ブーシェフルの歴史や混淆した文化(特に音楽)が解る仕組みとなっている、秀逸な作品ばかりでした。裕福なお宅であることはすぐに想像出来ましたが、変に気取ったところのない居心地の良いご家族で、夜(多分この日も10時近かったと記憶する)突然大人数で押しかけたにも関わらず、全員で演奏を一緒に楽しんでくれている様子が伝わってきました。

N氏の演奏する緩やかなネイ・アンバーンの演奏(この曲の形式は、最もネイ・アンバーンの演奏者の力量が試されるフリースタイルの演奏らしい)で始まった宴は、徐々に盛りあがりを見せ、H氏の奏でる打楽器、ザルブ&ティンポ(写真参照)の刻みだすテンポの速いダンスチューンに突入しました。N氏の顔にはとめどなく流れ出す汗が伝い、演奏には、その場の熱狂を一身に引き受けているような緊迫感がありました。
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ブーシェフルの音楽をほぼ初めて聴く私にとっては(旅に出る前にMahoorから出ているシリーズを買ってはいたものの、ちゃんと聴く間もなく旅に出てしまっていた)、ノリどころつかみどころがない感じだったり、またその場にいた熱狂的な聴衆(それもそのはず。そこにいたのは、それぞれ音楽を勉強していたり、自身が音楽家だったりする人ばかりだったわけですから)のハンドクラップやコール&レスポンスに圧倒され、少々怖気づいていた私でしたが、「港」という言葉を旋法の名前に含む、アラブ風の旋律のダンス・チューンが始まる頃には(実際には、これがこの日の夜最後の曲となったわけですが)、その場の雰囲気にもいくらか馴染み、写真撮影に励みながらも自然と身体がリズムを刻み出すまでになっていました。途中三連のリズムを挟みつつも、基本的にはそう複雑でないリズムなので、リズム音痴な私にも、そんなに難解な音楽ではなかったのです。

ザルギャルとは勿論のこと違うグループのジプシーに属するH氏の演奏ではあったけれど、ヌスラットもそういったことはすっかり忘れたのか、あるいは同じミュージシャン同士として通じ合うものがあったのかどうかは解りませんが、彼等の演奏に途中からノリノリの様子で、構えていた自らのビデオカメラを、途中から関口さんに押し付け、嬉しそうな顔で手拍子を加えていました。↓(笑)この様子を見て、なぜかほっとしたのを覚えています。
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演奏が終わったのは夜半も近くなった頃。今後の取材がどうなることやらと思いやられた一日でしたが、最終的には「ジプシー・ミュージシャン」の演奏もしっかり聴けたわけですし、英語が達者なネイ・アンバーン奏者のN氏や学生のB氏からは、曲目の説明や楽器の説明なども、直接関口さんに伝えられることとなりました。

外に出ると、未だ昼間の生暖かな気配を湛えた夜半の空気の中、色鮮やかにB氏の家の庭を彩る、蔓状のブーゲンビリアのピンクの色が、いかにもな南国のムードを醸し出していました。たった今耳にした(というか、身体全体で「感じて」きた)ばかりの海辺の音楽(いや、背後には様々な大陸の息遣いを湛えた音楽)体験と相俟って、その風景は、自分が今(いろんな意味でいささか窮屈な)イランという国にいるという事実をすっかり忘れさせてくれるほどの開放感を私に与えてくれました。

次の日も、素晴らしい音楽体験をすることになりますが、長くなりすぎるので今日はここまででおしまいにして、次回に続けたいと思います。

写真1:細部に渡ってアーティステッィクな空間を演出するB氏宅での夜の饗宴。南国のムードに縁取られた瀟洒なお宅で、鮮やかなリズムに彩られたミクスチャー音楽を堪能する。
写真2:ネイ・アンバーン使用前使用後(笑)
写真3:ザルブ&ティンポ。要するにダルブッカ(ザルブ)とトンバクを組み合わせたような打楽器。
写真4:陽気な音楽がお気に召したのか、嬉しそうな中東の「ジプシー・キング」(??)ヌスラット。その後ろには、日本の「ジプシー・キング」の姿が(笑)。





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ブーシェフルの楽しかった一夜が思い起こされます。
いろいろあったけど、あの夜のライブはとても素晴らしか
ったし、あのお宅の具合がかなり悪そうだったけど、ベッドに横になりながらも皆を向かえて下さったご主人の表情が
忘れられません。強く思いに残る夜でした。
gen-chan
2008/05/04 02:02
ブーシェフルでの音楽の夜は、どちらも最高に楽しかったですね。それにgen-chanさんと同じよう、私もあのご主人の穏やかな笑顔がとても強い想いとして残っています。ブーシェフルで出逢ったミュージシャンたち(勿論他の場所で出逢った人たちもザルギャルたちもそうですが)、いろいろ気を回して手助けしてくれている様子が伝わってきて、なんだかあったかい気持ちになりました。
で、改めて・・・本当にありがとうございました!
連載&イベント、頑張ってくださいね!!
elly→gen-chanさん
2008/05/05 22:01

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