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zoom RSS 世界の路地〜サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)編〜

<<   作成日時 : 2007/03/06 21:54   >>

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画像サラエヴォの街並みを思い出そうとすると、いつもぼんやりと脳裏に浮かぶ映像がある。いや、それは映像と呼べるほどはっきりとした形を取らない、むしろ、色の塊と呼んだ方が良い抽象的なものかもしれない。
それは、濃い靄がかかった夕刻の薄明に縁取られた家々の黒い影。対照的に、夕闇にくっきりと浮かび上がる生活の灯りのひとつひとつ。そして、街の中心へ向かってなだらかに落ちて行く斜面を、びっしりと埋め尽くす白亜の墓石群。

ここサラエヴォは坂の街。低い山々に四方を囲まれた盆地の底には、街の中心を東西に走るミリャツカ川。その細い流れに寄り添うように、かつてサラエヴォの街は開けて行った。中心市街地はいわば谷の底にある構図。街は東側へ行くほどオスマン帝国の面影を増していく。以前、ご紹介したかつての職人街・バシチャルシャは、当時の暮らしを偲ばせてくれるノスタルジックな場所。その北側の斜面に広がるムスリム人の住宅街もまた、トルコ民族の忘れ形見を、その街並みに記憶として留めていた。

夕暮れ時。ふとバシチャルシャから丘のてっぺんへ足を延ばしてみたくなった。
夕闇が迫る丘の斜面、デコレーションケーキに立てられた蝋燭のように細く突き出たモスクの尖塔が、礼拝の時刻を伝える。サラエヴォの街を見た時、海と山という違いはあるものの、イスタンブールの街並みを思い出した。ドーム状の屋根と先端が尖った細いミナレットという組み合わせのオスマン様式のモスク群、ちょっとした高台から街を眺めると、それらが文字通り風景を埋め尽くしていることに気付き、あっと驚かされる。
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無数に聞こえるアザーンの声に誘われ、私もモスクの中庭を覗いてみる。トルコ帽を被ったおじいさん達が、いそいそと礼拝へ向かって行く姿が見られる。モスクや礼拝所の傍らには、必ずと言っていいほど、小さな墓地がある。生い茂る夏草に埋もれ、幾分傾いて立つ白い墓石は、この坂の街に、えも言われぬ「なつかしさ」の風景を添えていた。画像









そのまま、サラエヴォの中心地をバックに見下ろしながらゆるい斜面を登っていく。
地図も開かぬ気ままな散歩ではあったが、偶然にもオスマン朝時代の面影を住宅に残すエリアへ突入していたようだ。
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オスマン朝の住宅街では、精緻な彫りが施された木造の出窓が、路地に華やぎを添える。軒の低い家並みと木のぬくもりが、なぜか安心感を与えてくれる。夏真っ盛りのこの季節、蔦状の地中海風の花々を這わせ、豪華に着飾った出窓も散見される。白亜の外壁と自然の木目のぬくもりが独特の調和を見せ、路地を芸術作品に仕立て上げている。訪れたことはないけれど、同じようにオスマン時代の住宅街を残す世界遺産の街、トルコのサフランボルもきっとこんな風なのだろう。
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藍色を纏いつつある空に幾分戸惑いながらふと背後を眺めると、随分高いところまで上ってきたことに気付く。すっかり暮れかけた空に抱かれて街の明かり家の灯りが思い思いに点滅を繰り返す。それらの光は、思った以上に明るく、そして、誘惑的だ。
薄闇と、夜に冷気を運んでくる靄を従え、サラエヴォの夕暮れの街は、昼間以上の神秘性と色気を身に纏う。

急がねば。夜に追いつかれてしまう・・・
でも、頂上まで明るいうちに徒歩で上りきるなんて、無理。
急遽、タクシーに乗り、頂上へ向かうことにする。

画像
車を使えば頂上までは、あっという間。
辿り着いたその場所は、青々とした夏草と、微かな大気の変動に呼応し小さく揺れる無数の小花に覆われた、何もない寂しい場所。
低い山々に囲まれたサラエヴォの街を、改めてぐるりと見渡すと、今先ほど通ってきたオスマン時代の家屋群が、雑然と並んでいるようでいて、実は秩序正しく建設されいていたことに気付く。そして、振り返って背後を見ると、闇に溶けて行く谷の間に、ぼんやりと別の街並みが現れた。ここはムスリム人の居住区とセルビア人の居住区の境界線でもあったのだ。

そして、なだらかな丘の斜面には、驚くばかりの数の比較的新しい墓石が、こちらもまた整然と並んでいた。ここは、かつて冬季オリンピックが開かれ、競技に利用された丘の斜面。

その跡地には、繁栄の跡ではなく、内戦の痕が残されることとなった。

トルコ人をはじめ様々な民族が行き交い、色とりどりの文化が栄え、その記憶を柔軟に保持してきたこの丘と谷の街は、戦乱の記憶をもその懐に抱え、歴史の痛みを共有することの大切さを、訪れた人々に思い出させようとする。

かつての大帝国の夢の跡を、静かな路地の随所随所に垣間見ることができるサラエヴォの街。
夏草の青さ・茜と藍の空。黒いシルエットの輪郭のみを見せる家屋群と夕陽が照り映える白い墓石群。絵画のように美しいこの光景は、何年か後に、私の中でどんな意味を持つようになるのだろうか・・・


☆よろしければ以下をご参照ください。
ETHNOMANIAの旅~2006夏編I(バシチャルシャ)
ETHNOMANIAの旅~2006夏編J(サラエヴォ新市街)
ETHNOMANIAの旅~2006夏編D(戦争の傷痕)





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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
待っていました!「神話シリーズ」の次は「路地」ですよね。神話とはまた違った、路地シリーズならではの空気感溢れる旅情たっぷりの文章。ああ、旅に出たくなりました。
忙しくて旅2006夏編もゆっくり読んでいなかったので、参照で取り上げられている記事にも戻ってみました。バシチャルチャ、新市街、路地・・やはりどの写真からも複雑な歴史に彩られた特異な土地であることを感じます。恥ずかしながら歴史の教科書に出ていた「サラエヴォ事件」という程度の知識しかなかったので、今回の旅の記事によって改めて勉強をさせてもらっています。
風景を埋め尽くすようなモスクや尖塔、路地で出会う繊細な木彫りの施された出窓のある家などから、やはりオスマントルコの面影を強く残しているのですね。
旅の空間の多くは日常生活から離れて、伸び伸びしたり、美と対面したり、美味しいものに舌鼓をうったり・・と楽しいことが多いですが、サラエヴォの場合は未だ生々しい「戦争」の傷痕に深く考えさせられる機会を与えられるような気がします。
さらさ
URL
2007/03/12 20:49
風景を埋め尽くすようなモスクや尖塔、路地で出会う繊細な木彫りの施された出窓のある家などから、やはりオスマントルコの面影を強く残しているのですね。
旅の空間の多くは日常生活から離れて、伸び伸びしたり、美と対面したり、美味しいものに舌鼓をうったり・・と楽しいことが多いですが、サラエヴォの場合は未だ生々しい「戦争」の傷痕に深く考えさせられる機会を与えられるような気がします。
冬期オリンピックに使われた丘に内戦の墓石がびっしりとあったとは・・・。スナイパー通りや弾痕を残す建物など、本当に様々な場所で「戦争」を感じるのですね。
さらさ
2007/03/12 20:51
以前、ベルリンに行った時がそうでした。空襲で屋根を破壊された教会がそのまま街のシンボルになり、東西を隔てていた壁も残っています。着々と復興しているように見えるようですが、深い翳が残っているのを感じました。
勿論、ギリシャの場合も長いトルコ支配や内戦の時代は決して大昔の話ではありません。今も中央ギリシャのイオアニアにはモスクと尖塔が幾つも残っていますし、アテネの戦争博物館の展示にもその現実をつきつけられます。
こうやって戦争の傷痕を辿り、肌で感じ、それについて改めて考えることも旅の大切な要素なのではないかと思いました。
さらさ
2007/03/12 20:51
長文コメントを頂き嬉しいです!いつも本当にありがとうございます。そして、今回は過去の記事にまで遡って読んで頂き、さらささんの貴重なお時間を私のブログなんかに使って頂いて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
さらささんがコメントで書いてくださったように、バルカン半島への旅は(本当に短い時間ではあったけれども)、戦争・平和について考える機会をたくさん与えてくれました。戦争の傷痕が残る(あるいは意図的に残している)場所は、世界中見渡すとたくさんありますが、サラエヴォほど直に私に迫ってきた場所は、初めてでした。(勿論、この時の自分の側の心の問題もあったんだとは思いますが)バルカン半島と言えば、ギリシャもそうですね。さらささんが書いてくださっている戦争博物館は残念ながら訪れる機会がありませんでしたが、歴史民族博物館で、トルコ人による虐殺を描いた絵画等を見ていたら、この地域の複雑な民族構成、何よりも侵略と圧政を受けた人々の悲痛な叫びが聞こえてくるように思いました。
elly→さらささん
2007/03/13 19:43
ブログでは忙しくて書く機会を逃してしまいましたが、実は、この冬は長崎に小旅行をしました。長崎自体は今までも何度も訪れた地だったのですが、今回は原爆記念館や原爆の跡が残る場所を意識して回ったんです。まるで修学旅行のコースのような旅でしたが、やはり考えさせられることがとても多かったです。子どもの時に回るのと、今回るのとでは、感じ方が随分違いますね。その後、ある新聞記事のコラムで、「被害者であること」「加害者であること」その双方の意識を持つことが、戦争を考える際に大切である(ごめんなさい。コメント欄の文字制限のため大分はしょって書くので、言葉使いが随分違う気がしますが)というような趣旨のことを書いてあり、そのとおりだと思いました。一般の人々、特に広島や長崎のように後々まで、戦争の傷に苦しむ人たちのことを考えると尚更です。
話が随分脇道に逸れてしまいましたが、今回こうしてさらささんからコメントを頂いたことにより、再度、戦争・平和について深く考えるチャンスを頂きましたよ。
elly→さらささん
2007/03/13 19:54
コメント、一部が重複していましたね。コピーした後に削除する場所をよく確認していなかったようです。ごめんなさい!
ellyさんがバルカン半島の旅で痛感した戦争や平和への思いが、今回の長崎の旅につながったのですね。
私も大学生の頃に九州旅行をしたときに長崎にも寄りましたが、平和記念公園には行ったような気がするものの深い感慨もなく通り過ぎただけでした。原爆記念館や原爆の跡が残る場所などもあるのですね。
若い頃は戦争について深く考えたりする機会もあまりなく、意識が低かったと思います。
私が初めて戦争に向き合うきっかけとなったのは、国語の授業で原爆を扱った作品(『黒い雨』ではありませんでした。今、思い出せない・・)を教えることになった時です。偏差値もそこそこの私立でしたが、終戦記念日を正確に答えられる生徒があまりに少ないことに驚きました。



さらさ
2007/03/14 13:20
戦争を知らない、これまで意識も低かった私が何を教えられるのだろうといろいろな本や映画などを通し、出来る範囲で勉強したのです。そして私なりに組み立てたのが、被害者、加害者、双方の視点から戦争を考えるという授業でした。特に加害者の部分は目を背けたくなる事実が沢山ありました。しかし、この視点はアジアなどを旅するときにも必要だと思います。拙いものでしたが、今回、ellyさんが取り上げてくださった新聞のコラムが同じ趣旨だったので、その頃のことを懐かしく思い出しました。
ギリシャでは、イタリアの侵攻にNOと言った日をオヒデー(オヒはギリシャ語でNO)として祝日にしています。祝日の前には幼稚園でもその歴史を子供達に教えますし、当日は小学生から高校生まで子供達が国旗を掲げてパレードするのです。家庭教育も含め、学校教育の場において、戦争や平和、国の誇りなどについて真剣に考える機会を増やすことが日本には必要なのでは・・と思ったりします。とても難しいことですけれど・・。


さらさ
2007/03/14 13:28
>コメント、一部が重複していましたね。コピーした後に削除する場所をよく確認していなかったようです。ごめんなさい!
ご丁寧にありがとうございます。どうもこのブログのコメント欄、使いにくいですよね。ご迷惑お掛けします。biglobeさんになんとか改善して頂きたい部分です。
今回の長崎への旅を提案したのは実は私ではなく夫の方だったのですが、お陰でいろいろと考えるチャンスを得ました。修学旅行では広島・長崎、共に訪れたことがありましたが、その時には「恐怖」以外の感情はあまり抱かなかったように記憶します。ただ、原爆に関しては子どもの時からなぜか関心があり、本はたくさん読んでいました。
さらささんは、国語の授業で戦争・原爆について取り上げられたのですね。通常、国語の授業では、なかなか文章の背後にあるものまで(時間の都合等もあり)取り上げるのは難しいと思います。
elly→さらささん
2007/03/14 22:17
それに正直、学校の平和教育だけではよほど感受性の強い子でないと、なんの役にも立っていないと感じさせられることが多かったです。けれど、特別平和教育の場を設けなくとも、さらささんのように普段の授業で考える機会を作ってくれる先生がいると、子どもたちの目線も自ずと変わってくるでしょうね。
そして、さらささんは既に「被害者意識」「加害者意識」双方の視点から戦争を考えるという提案をされていたんですね。アジアにおける植民地政策は勿論許されるべきものではないです。かと言って原爆の被害に合われた方々、戦争に行かれて亡くなられた方々等も、加害者だから仕方がないじゃないか、で片付けてしまうようでは困りますよね(こういう趣旨で例のコラムにも書かれていました)。やはり様々な視点に立って戦争を考えることが必要なのでしょう。
ギリシャでの教育、以前、神話教育についても伺いましたが、素晴らしいですね!教育に思想的なことを持ち込むのは時に危険も伴いますけれど、かと言って、今の日本の教育では、歴史を見直す力を育てることは殆ど不可能に思います・・・。
elly→さらささん
2007/03/14 22:27

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