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zoom RSS ETHNOMANIAの旅~2006夏編J(サラエヴォ新市街)

<<   作成日時 : 2006/09/02 22:19   >>

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オスマントルコ時代の面影を追いながらサラエヴォ旧市街のそぞろ歩きを楽しんだ後は、近代的な新市街の散歩を楽しみたい。どこの国でも、新市街と言ったら近代的な建物が立ち並び、味気ないオフィス街が迫ってくるのが相場ではあるけれど、そういった中にもそれぞれの国の特徴が見出せることがあります。たとえば、チュニス新市街は、フランス統治時代の瀟洒な白亜の建物群が並び、街路樹にヤシが植えられ地中海的な明るさを感じさせる首都の街でした。またブカレストは「東欧のパリ」と呼ばれた時代があったことからもわかるよう、フランス的な明るい建物と、また共産主義時代に次々と建てられた大規模で贅沢なチャウシェスクの「城」、それに対し、無機質なコンクリートの巨大な集合住宅群とが混在する首都。それは、いわば明と暗が交差する街でした。
ここ、サラエヴォの新市街はと言えば、オーストリア=ハンガリー帝国時代のアール・ヌヴォーの建物、それにイスラームのテイスト(ムデハル様式)が少しだけ加味された建物が主流だと言えるかと思います。現にサラエヴォの後、ほんの少しだけオーストリアの街並みを見る機会があったのですが、ずっとずっと洒落た街並みではあるけれど、どことなくサラエヴォと似た雰囲気をそこでは感じることができました。
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サラエヴォ新市街の目抜き通りとも言えるフェルハディア通り。この通りはバシチャルシャの方から続いている賑やかな通りですが、新市街に入るとがらりとその趣を変え、銀行や旅行会社などが立ち並ぶ近代的な通りとなります。角にはトルコ系の銀行もありました。他には、小さなCDショップも入ったビル、本屋、文化センターなどの建物もこの辺りに集まっていました。バシチャルシャの洋服屋で、そのファッションセンスに驚いてしまった私でしたが、新市街には普通にベネトンなどの店舗も見られ、なぜか少しほっとしたり・・・
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フェルハディア通りと交差して走る通り。通りの向こう側には低い山が見られ、サラエヴォが盆地であることがよく分かります。この通りが交差する場所は広場となっていて、カトリックの大聖堂が立っている場所でもあります。
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かと思うとすぐ近くにはセルビア正教会の姿も。正確にはコチラは新セルビア正教会。これとは別に、外壁のフレスコ画が美しい旧セルビア教会が近くにあります。写真には残していませんが、すぐ近くにはこれまたユダヤ教のシナゴーグもありますし、これらは全てモスクやオスマントルコ風の街並みが残るバシチャルシャからもすぐ近く(勿論徒歩圏内)です。
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サラエヴォ中心地を東西に走るミリャツカ川と、その南側の夕景。イスタンブールほどたくさんではありませんが、家並みに混じりモスクの尖塔がそこかしこから覗いている姿が印象的。山の斜面にそって不規則に並ぶ屋根瓦も夕日に光り輝き、夕景に彩りを添えていました。
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ミリャツカ川の南側川沿いに立つ皇帝のモスク。このモスクはボスニアで最初に建てられたモスクなのだそう。15世紀、オスマントルコの領土となったサラエヴォで州知事となったイサク・ベグは、このモスクを建てると同時に、自分の宮殿を隣に置きました。宮殿はオスマントルコ語(ペルシア語とほぼ同じ言語)で「サライ」と呼ばれましたが(キャラバン・サライの「サライ」と同じ。ちなみにサライは宿の意)、その「サライ」がもとになって「サラエヴォ」という地名ができたのだそうです。
このモスク、外観はとても新しく、勿論何度も改装されてはいるでしょうが、とてもそんな古い歴史があるようには感じさせませんね。唯一ミナレット(礼拝を呼びかける塔)の部分はオリジナルかしら?と思ったのですが・・・。
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世界史で学び、誰もが知っているサラエヴォ事件(オーストリア皇太子夫妻が、セルビア人青年に暗殺され、第一次世界大戦のきっかけとなった事件)の現場となったラティンスキー橋。以前はこの場所にその旨を記したプレートが掲げられていたそうですが、ユーゴ紛争の後、「セルビア人青年」が起こした事件とあり、プレートは撤去されることとなったそう。というのも、ハプスブルグ王家支配に対抗した事件としてセルビア人の青年が英雄視されたからですが、ご存知のとおり内戦後はセルビア人を称えるというわけにもいかなくなりましたよね・・・。今では、地図で「ここが現場だ」と印を付けていかないと、それだと分からずに通り過ぎてしまいそうなくらい目立たない橋です。
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ミリャツカ川南側をほんの少し入り込んだ場所にあるサラエヴォビール工場。PIVARAはビール工場の意。PIVOがボスニア(クロアチア・セルビア)語でビール。
けばけばしい色の外観に「悪趣味」と感じてしまいますが、よく見ると装飾のひとつひとつに世紀末(19世紀末)を感じさせるスタイルが見て取れますよね。辺りはビールの匂いが立ち込めてましたよ。そして、通りに面した敷地内には、ビールが飲める大型のレストランがありました。工場の建物がこうですから、おそらくレストランの内装もアール・ヌヴォー式なのではないでしょうか。
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戦争の傷痕という記事でも載せた国立図書館。1950年代に国立図書館となる前はオーストリア=ハンガリー帝国時代の市庁舎だったそう。ムデハル様式のエキゾチックで豪華な外観の建物。しかし、以前も書いたとおり、内戦で砲弾を浴び炎上。外壁を除き全て焼け落ち、蔵書も燃えてしまった。現在修復中ということでしたが、音楽祭の看板が立てかけられ、現在も変わらず街のシンボルであり続けているのがよく分かりました。外壁はかなり傷んでいるとはいうものの、それでもその美しさは十分に感じられます。
写真では、市内を走るトラム(路面電車)も写っていますが、このトラムが走る通りを、通称スナイパー(狙撃兵)通りといいます。なぜなら内戦中、この大通りでは動くものは全てセルビア人狙撃兵の標的となったからといいます。見晴らしが良い通りですし、大通りですから高い建物が写真では左手に(右手はミリャツカ川)たくさん立ち並んでいて、それらのビルの上から狙えば簡単に弾は人間に命中したことでしょう。
この「スナイパー通り」沿いの建物には、多くの「傷痕」が見られました。一見、戦後復興はものすごく進んでいるように見えますが、よくよく目を凝らしてみれば、また建物のひとつひとつを細かく見ていけば、決して全てがうまく運んでいるわけではないことが分かります。また、修復された建物には各国のODAの援助である旨が記されたプレートが掲げられていました。


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
国境超えから一気に読ませて頂きました。
レトロな雰囲気たっぷり、Elly
さんがお好きな路地がたくさん
そしてあの地域独特というか(私は行ったことはないのですがイメージで)歴史や人の
思いや宗教や、秘めた謎を持っている雰囲気が
漂う街ですね、バシ・・え〜っと(目次に
戻って)バシチャルシャ:本当に舌を
噛みそう笑
宗教で、〜を選んだ、というところ
バルカンもですが、同じ教会や修道院が
いくつもの宗教に利用されたり
信仰心(宗教)が絶対・大きな位置を占めている地域だからこそ、こういうことは本当に
大きな影響を人や街やたくさんのことに与えたのだろうな、と思います。稚拙な表現ですみません;;

★紅花の職人さんフィピン人でマニラの日本食屋さんで働いていたと言っていました
でもあの盛り付け方だと、確かに日本食の大事な要素伝わりませんよね。でもEllyさんが言われるようにルーマニア人、商売のサービス精神はなくても
あったかい人種ですからきっと今に最高の
サービスができるはず、と期待しています笑 
go2rumania
URL
2006/09/03 06:13
遡って読んでいただき、ありがとうございます。そうそう、「レトロ」「秘めた謎」って言葉、言いえて妙です!そして路地!路地の写真は今回たくさん撮りました。実はこの旅レポが終わったら、例の「路地シリーズ」で別箇に取り上げようと思っているのですよ。よろしければまた読んでくださいね。
ルーマニアでもそうでしょうが、バルカン半島では生活と宗教の関わりの大きさを感じさせられますね。ボスニアではユーゴ紛争後、民族的アイデンティティを保つために、より原理的な宗教へ回帰しているような話も聞きますが。そしておっしゃるとおり、様々な民族が支配してきた地だけに、他宗教の宗教施設を、そのまままた別の宗教が利用していたりといった様子が見られますよね。その中には宗教的寛容の精神が見られることもあれば、排他的な感情も見られることがあり、宗教と暮らし、人々の感情の関わりって不思議だなと思わされます。
紅花、フィリピン人ですか…。う〜ん。かなり似非臭漂いますね(笑)。一般のルーマニア人の親切さ、笑顔を考えたら今後サービス業における進歩、期待大ですね。
elly→go2rumaniaさん
2006/09/03 23:42
>宗教的寛容の精神が見られることもあれば、排>他的な感情も見られることがあり、宗教と暮ら>し、人々の感情の関わりって不思議だなと思わ>されます。

そうそう、そうなんです。
宗教、、食べ物の美味しくない国は
プロテスタント(簡素で質素を重んじる>
カトリックよりも=食べ物の美味しい国・ラテン!というのを読んだことがあります。
宗教は語らずには避けられない話題なのかな、と。聖書の知識の必要性は、こちら(ヨーロッパ)にいると、桃太郎を知っているのと
同じくらい大切なこと(例えが違いますね;
それだけメジャーな話と同じくらい
知られていること)とこちらで痛感しました。
学ぶことがたくさんありすぎ!
でもだから面白いのかな、旅も人も歴史も・・
と思います :)

路地シリーズ、楽しみにしていますね!
go2rumania
2006/09/04 09:05
ある国のことを学びたかったらやはり、宗教の話をおいといてってわけにはいかないですよね。一見、宗教とは無関係のように見える日本でさえ、外国人が日本文化を学びたいと思ったら、神道の精神を理解しないと、深いところでの納得は難しいでしょう。
日本人自身は普段意識下に眠っているかと思える程、自然に生活に溶け込んでしまっていて意識さえしない神道ですが。
そうそう、プロテスタントとカトリックの国の食べ物の違いは、以前go2rumaniaさんに教えていただいて、なるほどおもしろいなと思いました。
知ることにより、異文化への寛容の精神が養われていくものだと思います。直接何の役にも立たないから知らなくていい、なんて思わずに、いろんなことを吸収していきたいですよね!
またいろいろ教えてくださいね。
elly→go2rumaniaさん
2006/09/04 23:50
 お久しぶり。書かれているように、サラエボは第一次世界大戦の切っ掛けになった都市、くらいしか思い浮かびません。このあたり、民族の坩堝なんでしょうね。写真を見ても、純粋にヨーロッパではないような感じがします。
筑紫万葉
2006/09/06 22:38
お返事遅くなってごめんなさい。
バルカン半島は民族・人種の坩堝ですね。
一枚の写真からも多様性が伝わってくるかと思います。世界史で習う「サラエヴォ事件」。
誰でも知っているようでいて、現在どこの国かと聞かれたら案外知らない人が多い気もしますよね。
elly→筑紫万葉さん
2006/09/10 15:02

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