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zoom RSS ETHNOMANIAの旅~2006夏編C(ボスニア料理)

<<   作成日時 : 2006/08/03 20:49   >>

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画像「ボスニア料理って?」
今日は、あまり耳にすることも目にすることも口にすることもないかと思われるボスニア料理について記します。
今回の旅ではドゥブロヴニクから、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォへ向かいました。短い日程の中の2都市訪問だったため、サラエヴォ滞在は僅か2夜のみでしたが、多文化が交じり合ったミクスチャーな香りがプンプン漂う街並みをできる限り堪能してきましたよ。
サラエヴォと言えば、人種の坩堝であり、私はこの表現があまり好きではありませんが、「東欧のエルサレム」と呼ばれて来た経緯がある街です。今に至るまで様々な宗教、人種が混在してきたからです。そして、それぞれの民族が互いとの共存を実現してきたコスモポリタンな街でした。・・・が、ご存知のとおり90年代の内戦により、その様は一変しました。ボスニア・ヘルツェゴヴィナが旧ユーゴからの独立を宣言した際、それを拒むセルビア軍(加えてミロシェビッチのユーゴ軍)から攻撃を受け、その後は国内のクロアチア人との間でも争いが起こり、戦争は忌まわしい民族浄化へと発展していきました。現在のボスニア・ヘルツェゴヴィナはユーゴ内戦において最大の戦死者が出た場所です。サラエヴォは、内戦前もムスリム人口が多かった街ですが、アラブのイスラーム諸国などと違い、その戒律はとても緩やかだったそうです。それが、最近はより原理主義的な人々が増えてきているとも聞きます。自らの民族意識を強固なものにするためには、宗教という道具はとても便利なのです。
しかし、今日はお料理のお話ですので、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの歴史や民族問題etc.についてはこれ以上書かないつもりです。こういった話題はいずれこの旅日記の中で取り上げていくつもりですので、ご興味がある方は、ぜひまた読んでくださいね。
さてさてじゃあなぜこういう話を持ち出したかと言うと、ボスニア料理の特徴を記すには、やはり「民族」について前提となる知識が少しは必要だと思ったから。ひとことで記すとボスニア料理の特徴は、オスマントルコの影響が強いムスリム食であること。サラエヴォにはムスリム人以外にも、主にセルビア人、クロアチア人が暮らしているわけですから、彼らが食す非ムスリム的な料理もサラエヴォの中には存在すると思うのですが(あるいは全く同じものを食べている可能性もありますけれど)、旅行中訪れた場所では、ムスリム風の食事にしかお目にかかれませんでした。それは、内戦後はそれぞれの民族が居住区域を分けて「住み分け」をしているからだと思われます。セルビア人やクロアチア人がサラエヴォでどんなものを食べているのかは私は全く分かりませんが、少なくともムスリムの食事に関しては、他のバルカン諸国にも多く見られるような、オスマン・トルコの宮廷料理の伝統を引くものだったと私は感じました。
上の写真は、ボスニア伝統料理を出すInat Kuca(イナット・クーチャ:ミリャツカ川をはさみ国立図書館と向かい合う場所にある。「地球の歩き方」にも載ってました。)という店で食べたもので、手前がこのブログでも名前がたびたび登場するドルメ、奥が2cmほどの小ぶりのオクラやレンズ豆牛肉などをトマトソースで煮込んだBamjaというお料理。いずれもオスマン帝国の領土だった地域ではよく見られるお料理だと思います。ドルメは、季節の素材であるブドウの葉で巻いたものもしっかり含まれていてご満悦の私でした。
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こちらは、これまた当ブログによく名前が登場するチョルバ(ショルバ)。細かいパスタが浮かび、卵とじされた鶏肉系出汁のスープでした。
さてさて、このお店、ボスニアの伝統的なお料理を出すお店ということで、外観や内装も伝統色を前面に出していました。
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・・・が、実はここがボスニア伝統料理の店と言うことを知らずに入った私は、あまりにもトルコ的なインテリア(スルタンが纏っていたカフタンやコーランの章句が書かれたカリグラフィーが壁に飾られ、イスラームスタイルの銀製品が並べられていたetc.)や、イスタンブールのレストランでもしばしばお目にかかるような食べ物がズラリと並んだロカンタ・スタイルの「見せる」キッチン、ピザなどを焼くためと思われる炉(写真中央を参照してください)、トルコのサフランボル(オスマン・トルコ時代の家屋を多く残す世界遺産の街)ででも見られそうな、精緻な彫りが施された木造のベランダが2階から突き出す建築スタイルetc.、そして何よりオスマントルコ宮廷料理風の手の込んだ料理の数々、また銀製品の器に、ここはトルコ料理を出す店に違いない!と、当初勝手に思い込んでいたのでした。
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しかし、よく見ると店の表には確かに「ナショナルレストラン」と表記が!(写真左部に看板が出ています。)
これらのお料理のどこまでがオスマン・トルコの影響で、どこからがボスニア・オリジナルなのかは私には良く分かりませんが、オスマントルコが入るまで、彼らがどんなものを食していたのか、また内戦後ひょっとしたらムスリム人の間でも食べるものが変化してきたのだろうか、などなど、とても興味が湧きました。

しかし、もっと典型的なボスニア料理と言えば、これからご紹介するふたつのお料理。
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わかりにくい絵ですみません;
これ、チェバブチッチというかわいい名前のお料理。おそらく「ちっちゃいケバブ」ってことだと思いますが、これケバブというよりは、ルーマニアのミティティや、トルコ・アラブのキョフテ・ケフタに近い感じの挽肉のソーセージ。これを油でひたひたのパン(インドのナーンに似た感じでした)の中央を開きピタパン風に挟んで、生玉ねぎを添えて食べます。サラエヴォの人たちは皆これをヨーグルトドリンクと一緒に食していました。このヨーグルトドリンクがまた・・・。ヨーグルトドリンクと言えば、トルコのアイランやイランのドゥーグ、インドのラッシーなど様々ありますが、ボスニアのはヨーグルトそのもの!味付けは特にされていなかった様子。変に塩や酢で味付けされてるよりはいいんですが、どろっどろで飲むというよりは啜る感じ。
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サラエヴォ市内でひときわ異彩を放つバシチャルシャという地域。オーストリア風の街並みの新市街とは趣を異にし、伝統的な木造家屋、トルコ風の露天や商店、モスクが立ち並ぶエキゾチックなエリア。バシチャルシャのことはいずれまた別記事で扱いますが、そこを散策しているとチェバブチッチを扱うCEBABDZINICA(チェバブチッチ屋・上の写真)と、それから、ブーレクという料理を売るBUREGZINICA(ブーレク屋・一番下の写真)が何軒も何軒も軒を連ねて商売を競っていました。出すお料理は、チェバブチッチ屋ならチェバブチッチのみが基本、ブーレクも同じです。ですから、どのお店を選んで入ろうかというのは、かなり迷いましたよ〜。
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このブーレクですが、チェバブチッチに続き、やはり他のイスラーム国でも見られるお料理と共通していると思います。私が食したブーレクは、挽肉・玉ねぎなどの詰め物ををパイ生地でぐるりと細長く巻き鉄板で焼いたお料理でしたが、おそらく基本はチュニジアで食べるブリックと同じなのではないでしょうか?チュニジアのブリックはツナ・ジャガイモ・卵などの具材を春巻きのような皮で包み、揚げたものですが、もともとが同じお料理であろうことは、その名前からも想像できますよね(ブーレクとブリック)。参考までに原宿のハンニバル・ドゥで出てくるブリックのお写真を載せておきますね(実はこの写真は今はなき新大久保のハンニバルで撮ったものです)。
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実は、以前読んだ四方田犬彦氏の『見ることの塩』というパレスチナ・セルビア紀行の本に、「ブーレカを食べる人々」という章が設けられていて、こんな記述がありました。「イスラエルでもセルビアでも人々は好んでブーレカを食べた。小麦粉を煉り、詰め物をして焼いた軽食のことである。(中略)イスラエルでスファラディームが好んで食べるものは、ホウレンソウやジャガイモ、マシュルーム、チーズなどが詰められていて、三角形や四角形をしているのが通常だった。(中略)ベオグラードでは(中略)ブレクと呼ばれていた。細長い形をしていて、野菜ばかりか肉やチーズがはいっているものもあった。サラエヴォでは焼きあげた上にヨーグルトがかけられていた。(中略)わたしが旅行してまわった地域が、形態の違いこそあれ、同じブーレカを食べていることはどちらもがかつて同じ文化圏にあったことを示している。パレスチナもバルカン半島もかつて、長きに渡ってオスマントルコ帝国の領土に属していた。いかに公式的な隠蔽や抹殺がなされようとも、文化は音楽と食べ物、つまり口唇に関わるものにかならず痕跡を留めている。(後略)」といった内容。四方田氏の著書はいつも私に多くの示唆や共感を与えてくれるのですが、自らサラエヴォを訪れブーレクを食べた時、私はこの記述を思い出さずにいられませんでした。なぜなら、常々このブログでも書いているよう、強国の支配といった事実を越えて各地域に色濃く残る文化の混淆の痕跡を、食べ物や音楽に辿ることに私も大きな関心を持っているからです。

たった2夜のサラエヴォ滞在でしたが、食べ物からだけでも様々な文化の跡を垣間見ることができました。
だからこそお料理はおもしろく興味深いんだよなあと再確認した私でした。
(長くなってすみません。最後まで読んでくださった皆様、hvala vam!(クロアチア語やボスニア語で「Thank you!」)
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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
肝心の料金について書き忘れました。イナット・クーチャでの食事は、チョルバ二皿とドルメ、Bamja、飲み物2杯、(パン付き)で2600円。これは中級レストランで食事をした場合のおおよその料金です。チェバブチッチは二皿+飲み物+サラダで約930円。写真のブーレカ一皿+飲み物2杯で460円と言った感じ。ドゥブロヴニクの後だと大分安く感じます。
elly(追記)
2006/08/03 21:49
チョルバ…なんだか急に身近な国に感じてきました。当方、寿司を記事にして、寿司モードだったのですが、いまや完全に脳はアラブ食を求めています。
匂いたちそうな写真に生唾ゴクリです。

2006/08/08 22:53
今回は碧さんでご登場ですね!
ボスニアを訪れて、やはりアラブとのつながりを強烈に感じました。
軍事大国としてのオスマントルコはきらいなのですが、文化大使としてのオスマントルコにはとても魅かれます。
碧さんのお寿司もとてもおいしそうでした。
アラブ食、無性に食べたくなることがありますね。
elly→碧さん
2006/08/10 17:31
民族問題、こういう風に料理や旅と関連づけて
ですと頭にすっと入りますし、また楽しみに
しています!ルーマニアにもハンガリー系が
多い地域にはハンガリー料理と混ざっているもの、
またEllyさんもかかれているトルコの影響
チョルバもルーマニア料理になっていますし
料理から民族を感じることがたくさんです。

宗教も多く関係するようですね。正教だけれど
おいしいものがおおい、料理に時間をとる
ところなどはやはりイタリア・カトリックの
国の流れがあるからかと、、今司馬遼太郎の
オランダ紀行を読んでいて プロテスタントの
国が清貧をカトリックよりも重んじていてだから
食べ物がまずい、、なるほどーと思ってしまいました。

go2rumania
URL
2006/08/14 20:19
★家族や友達は会いにきてくれても
ペットは日本の場合なかなか
これませんからね;;さみしくなります。

ゴスロリは、侍。芸者のイメージを強く
持つ人には衝撃的なようです・笑
でも漫画ファンはルーマニアにも多い
ですから、そういう人にはなんてことない
のかも。私がしらないような、
わけのわからない漫画、いっぱい知っている
人もいて驚かされます。。
go2rumania
URL
2006/08/14 20:20
この記事を書いていた時、go2rumaniaさんのこと、ルーマニアのことも念頭にありました。そう、ルーマニア料理はオスマントルコ色と同時にハンガリーの影響も強く感じましたよ。ルーマニアのように文化の混淆が進んだ国は自ずとお料理もおいしいことが多いですよね。(お料理の種類自体は少ないなと感じましたが)東方聖教の国がプロテスタントの国に比べ料理がおいしい理由…なるほど。確かにプロテスタントの禁欲主義は、料理に「楽」を求めることを禁じたのでしょうね。私はプロテスタントの国へ行ったことがまだないですが、確かにあまりお料理にはそそられるものがなさそうだな〜と思ってました。司馬遼太郎のオランダ紀行、読んでみたくなりました。
*ルーマニアでもMANGA、流行ってますか!さすがにゴスロリはまだいない!?
elly→go2rumaniaさん
2006/08/15 22:06
ゴハンもいいのですが、お店を外から撮った写真の右奥の通りに私は今すぐ行きたいです。。坂ですよねぇ?上って行きたいなー…
ラクダ子
2006/09/20 02:05
さすが路地好きのラクダ子さん。
目の付け所が違います!
路地の中でも坂道になってたり迷路のように
曲がりくねってたりするものって、特にお好きじゃないですか?
路地写真たくさん撮ったので、バルカン半島もそのうちシリーズやりますよ。
elly→ラクダ子さん
2006/09/21 19:51

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