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<<   作成日時 : 2006/07/04 00:55   >>

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今日も、今週末からの旅に向けて自分のためのメモを残したいと思います。(壁紙を地中海の街並みっぽいのにしてみましたよ!)
なんだか現在日本列島に台風が近づいているらしく、週末の状況がちと心配です。短いお休みですから、万一飛行機が遅れたり飛ばなかったりしようものなら大変です。
さてさて、“どぶろく”(by questaoさん)・・・ではなかった、ドゥブロヴニクですね。今回の旅の主な時間は、アドリア海を挟んでイタリアの対岸にあるクロアチア南部のドゥブロヴニクで過ごすことになります。(参照:クロアチアと周辺国の地図『東方観光局』さんのサイト)
ドゥブロヴニクは、城壁に囲まれたオレンジの瓦屋根の街並みが海に張り出し、その美しい景観がとても印象的な「アドリア海の真珠」とも呼ばれる海洋都市です。世界遺産にも指定されている美しい街並みに身を置けるのは、とても心躍る出来事です。
なんと言っても、アイルランド生まれの劇作家、バーナード・ショーをして「ドゥブロヴニクを見ずして、天国を語る無かれ」と言わしめ、また宮崎駿監督が街並みに魅せられ、『紅の豚』に登場する市街地のモデルとしたというエピソードがある街ですから。(ユーゴ内戦の最中1992年公開の当映画で、時代設定は違えどもアドリア海での空中戦が行われるシーンの街並みとして採用されたというところに、監督の平和への願いが託されているようで、なんともジーンと来ますね)

このドゥブロヴニク、歴史的建造物など主な見所は城壁に囲まれた旧市街の部分に集中していますが、この城壁の内部、ほぼ中央を東西に一本の大通りが貫いていて、その直径はたった380mに過ぎないという、小さな都市なのです。城壁の上は遊歩道になっているらしく、アドリア海を見下ろしながら歩くことができるのですが、そこをゆっくり歩いても1時間もあれば1周できてしまうというわけですから、その小ささが窺えるかと思います。
しかし、この小規模な都市が、歴史上数々の列強に囲まれながらも、ナポレオンが現れる近代まで独立と自由を保ってきたというのですよ。
* * * * *
現在のドゥブロヴニクの街の基礎が出来上がったのは、7世紀の出来事。もともとドゥブロヴニクの沖合いには、陸地と海峡を挟んだ小さな島が浮かんでいました。その頃、ドゥブロヴニクの15km南にあるエティダウラスという街から、スラヴ人(現在のクロアチア人に当たる)に追われたローマ人達が、岩礁の多いこの小島に移り住んできます。そして海峡を挟んだ対岸のスルジ山には、やがてスラヴ人が移り住んできました。岩礁の多い小島という環境で、食料や水の確保に困ったローマ人たちは、対岸のスラヴ人に年貢を払い、対岸の土地を耕す許可をもらいます。やがて12世紀、互いの関係が穏やかになると、互いを隔てる海峡は埋め立てられ、その埋め立てられた場所が現在の大通りとなったのだといいます。城壁もこの頃に完成。

ドゥブロヴニクは福祉や交易に力を入れ、小さな都市ながらも力を蓄えていきます。
岩礁の上に建設された街だけに水の確保は大変でしたが、上下水道を完備するなどインフラ整備を徹底し、公共衛生に力を入れています。(これらの施設の跡もまた現在目にすることができます。)またヨーロッパで最古の薬局のひとつと言われる施設が、現在もこの地に残る修道院の中で700年もの間営業を続けているそうです。当時、宗教施設は医療施設も兼ねていたようで、市民は無料で平等に医療行為を受けることができたそうです。このように公共の利益を重視したことは、都市が内部からの不満により崩壊へ向かうのを避けることへと繋がったといいます。
また、バルカン半島への海の入り口という地の利をも生かし、スラヴ語圏のボスニア・ヘルツェゴビナにあった鉱山を開拓し地中海世界に向けての輸出を行い、また地中海諸都市からの交易品をバルカン諸国に輸出する中継点としても発展していきました。ラテン語の世界とスラヴ語圏の世界、両方に通じるという特性を生かし、商才を見事に発揮していたようです。中世の世にして、ドゥブロヴニクは、外国に公館・領事館が80以上もあったというから驚きです。(日本にもあったんですよ!)
しかし、バルカン半島という東西の文明のちょうど中間地点にあるその場所柄、歴史上度々列強の脅威にさらされてきました。当初、ヴィサンチンの保護下にあったこの都市は、年貢を払うことによりこの地域での自由貿易の権利を勝ち取り、続いて13〜14世紀にはヴェネチアの支配下に一時期入ったこともあるものの、その後保護国をヴェネチアから、力を得たハンガリー王国に鞍替えし、共和国となりました。ハンガリーに替わり、オスマン帝国が強大化してくると、いち早い外交努力により、献納金を支払う代わりにバルカン諸国で自由な商業活動を許可する条約の締結に成功し、帝国の傘下に入ってしまうことを回避し、自由を保持できたのだといいます。その頃にはヴェネチアの領土だった一部の地域を除き、バルカンの殆どの国がオスマントルコの領土と化していたことを考えると、この小さな都市が独立を保てたことは奇跡としかいいようがないかもしれません。そして東地中海貿易の中継点・東西交流の窓口となり、海洋交易都市としてのその地位を保ってきたといいます。またさらに興味深いことには、以上のドゥブロヴニクの歴史を書く際引用元・参考にさせて頂いた本*(参考文献は後に記します)に書いてあったことなのですが、当時ヴェネチアから東方へ航海する人々にとっては、ドゥブロヴニクはラテン語が通じるカトリックの世界の終焉の地であり、逆に東方からヴェネチアを目指した人々には、最初に出会う西の世界だったと。今もその事実はかわりませんよね。クロアチアの最東部に位置するドゥブロヴニクを超えたら、セルビア・モンテネグロ。そして、そこは東方正教会の世界ですから。地理的なこと、またイスラームとキリスト教の転換点という正確な意味での東西文明の十字路は、もちろんコンスタンチノープル(イスタンブール)だったのでしょうけれど、精神的な意味では、ドゥブロヴニクを越えた時点から、そこは旅人にとって異文化の支配する地だったことでしょう。
(以上、『旅名人ブックス クロアチア/スロヴェニア ボスニア・ヘルツェゴヴィナ アドリア海の海洋都市と東西文化の十字路』/日経BP社を参照)
たとえ金銭を用いても、自由に適うものはない。どんな大国を相手にした時でも、自治と自由な商業活動を保つためには、外交努力を怠らなかった。そんなドゥブロヴニクの人々の精神性を表す碑銘が、市街地の西側にある要塞に、残されているといいます。「いかなる黄金に換えても、自由(リベルタス)を売り渡してはならない」と。この「リベルタス」という概念は、現在もドゥブロヴニクの人たちの誇りであり、クロアチアの紙幣にも、その「リベルタス」の文字が見られるそうですよ。(NHK『探検ロマン世界遺産 ドゥブロヴニク』より)

そして、ドゥブロヴニクを訪れる際、内戦の記憶を辿ることも、忘れてはならないでしょう。1991年、旧ユーゴからの独立を宣言したクロアチアは、ユーゴ連合軍からの砲弾を浴びる結果となりました。それまで様々な外交努力により争いや占領を回避してきたドゥブロヴニクですが、その美しい街並みは崩壊し、一時は危機遺産にまで指定されました。その街並みは、その後人々の復興努力により、往時の美しさを取り戻したのだといいます。
しかし、内戦から15年経った今でも、街角の至る所に、砲弾の跡が残っているといいますし、街を上から眺めた際、オレンジ色の瓦屋根が、年輪を経て茶色くいぶされたものと、新しい鮮やかなオレンジのものとで斑になっているといいます。また、スルジ山の周りにはまだ地雷が埋まっている箇所もあるのだそうです。
そんな痛ましい戦争の痕を体験すると同時に、崩壊した石畳や家々の石壁のひとつひとつまでも放棄することなく、それを再利用して生まれ変わったという街角の風景ひとつひとつを、心行くまで味わってきたいなと思っています。こう考えると、何気なく石畳の上を歩くことも、ぼ〜っと路地を彷徨うこともできなくなりそうです。

また、運が良いのか悪いのか、今の季節、ドゥブロヴニクではサマー・フェスが行われています。「運が悪い」の方は、ホテルや宿の選択肢が少なくなるという点。
フェスの期間中、街のいたるところ(要塞や広場、修道院の中庭など)で、野外劇やクラシックのコンサートなどが行われている様子です。特に観たい催しがあるというわけでもなく、全ての公演にチケットが必要なのかどうかもわからないので、たまたま良い催しに出会えたらラッキーくらいにしか考えていませんが、街全体がフェスで賑やかな雰囲気を醸しだしているのは楽しげでいいかなあ、と思っています。運が良ければ民族音楽も聴けることでしょう??

W杯の最中であるこの季節(とは言っても、私が訪れる際は決勝を残すのみとなっていますが)、現地の人とサッカー話で盛り上がるのもたのしいかもしれませんよね。10年前、オリンピックの年にギリシアを訪れた際、やはり地元の人たちと街角のテレビを囲んで盛り上がった良い想い出があります。スポーツ(特にサッカー)は、民族も宗教も関係なく皆で楽しめるものですから。「we say no to racism(我々は‘人種主義’にNoを唱えます)」というW杯の標語に倣い、あらゆる壁を取り払って交流する時間は旅の楽しい想い出となるはず。(まあ、でもサッカーの話題は夫に任せますが)

また、旅の楽しみと言えば食べ物も挙げられますが、この辺りはアドリア海に面していることもあり、海の幸をシンプルに調理した(炭火焼など)お料理が多いと聞きました。イタリアンの影響が強いそうです。
また、バルカン半島ということもあり、以前訪れたルーマニア・ギリシア・トルコともきっと共通したお料理が見られると思い楽しみです。クロアチアには「サルマ」というお料理があるようですが、これは間違いなくルーマニアの「サルマーレ」と同じものでしょう(ブルガリアでは「サルミ」と呼ぶようです)。ブドウの葉やキャベツの塩漬けで挽肉や米を巻いたこのお料理。似たお料理はアラブ世界にもあります。お料理の中に、オスマントルコが伝えたアラブ文化の跡を見るのも、地中海やバルカン諸国を訪れる楽しみのひとつです。

そして折角地中海のベストシーズンに訪れるわけですから、勿論ビーチも楽しんできますよ!予定では沖合いに浮かぶロクルム島という無人島のビーチへ行くことを考えていますが、ここ、ヌーディスト・ビーチがあるそうで(最近は「ナチュラリスト・ビーチ」と呼ばないといけないのだそうですが・爆笑!)、ちと恐れをなしている私です。

そんなこんなで、いろんな旅の土産話ができるかと思います。
旅の終わりの2日間は、ドゥブロヴニクから国境を越えて、バスで6時間のところにあるボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエヴォに滞在します。こちらはヨーロッパでありながら、イスラームの香りやオスマントルコの文化の跡が色濃く残るエキゾチックでミクスチャーな文化を楽しめる街。ムスリムが多く住むこの街は、内戦で多くの犠牲者が出ています。
旅に出る前に時間があればサラエヴォの話も書きたいと思っていますが、ちと難しいかもしれませんねえ。・・・ていうか、旅に出る前から長く書きすぎだってば!

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コメント(16件)

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いよいよですね〜
トップの写真もいい感じです。
ellyさんのわくわくに押しつぶされそう!
私もスーツケースに入れていって(^^;)
ヌーディスト・ビーチのellyさん…
お戻りを楽しみにしています。
aoi
2006/07/04 12:55
そうなんです〜。いよいよ真近にせまってしまいました。ワクワクしすぎかしら?
aoiさんがスーツケースに入ってきてくださるなら、そんなに頼もしい海外旅行はないのにな!
ヌーディスト・ビーチ、実はかなり行ってみたいんですよね。レポできるかは分かりませんが、ひょっとしたら…。(お楽しみに♪)
壁紙の写真はカスタマイズしたものではなく、ウェブリブログにもともとあるものなんです。自分で画像いじれるようになりたいな。
elly→aoiさん
2006/07/04 19:09
 おおー!ドゥブロヴニク!行かれるんですね。世界遺産番組で美しさに圧倒されましたよ〜。羨ましいこと山の如しです!
 サラエヴォも興味しんしん。レポート楽しみにしてます!!
えひ山
2006/07/04 19:12
そうそう、えひ山さんとこで、クロアチア話がされていた時、ドゥブロヴニクのことを言及されていた覚えがありますよ!
サラエヴォはこれまた全然違った雰囲気を醸し出しているかと思いますのでそれぞれに楽しみです。
elly→えひ山さん
2006/07/04 21:29
ドゥブロヴニクですか〜私も行きたい!!あと、私の中ではアドリア海といえば紅の豚なんです♪いいなーアドリア海!アドリア海という響きがもう素敵です(笑)アニメ知識で生きてるようで恥ずかしいですけど、宮崎作品の中では私は「紅の豚」が一番好きなんですよ〜
街並みを堪能してきてくださいね、写真も楽しみにしています!あ、ヌーディストも(笑)ellyさんも挑戦するのかな!?
ラクダ子
2006/07/06 00:35
ほんのちょっとご無沙汰しているうちに出発目前ですね。(明日!)旅の前のワクワクする雰囲気が一杯。今は旅と縁遠い私も空気を思いきり吸い込むことができました。
クロアチアのネクタイの話はどこかで聞いたことがあるような気がしましたが、改めて読んでみると成る程、ギリシャ語も「グラバタ」だったな・・などと納得です。また「サルマ」はギリシャでは「ドルマ」ですし・・とついギリシャの影を追い求めてしまうのですが(笑)・・。トルコ支配下だったこと、東西文明の交差点などという意味でも共通点が多そうで興味深いです。
『紅の豚』「アドリア海の真珠」「ドゥブロヴニクを見ずして、天国を語るなかれ」などとその美しさはお墨付きのよう。私も期待に胸がふくらんできました。サラエヴォも楽しみです。
気をつけて、良い旅を!!
さらさ
2006/07/06 15:38
そうですよね〜。やっぱ「紅の豚」。
当時の時代背景を思うとますますジーンと来そうな気がしてます。
そして、アニメへの知識は、この間ラクダ子さんの「肩書き」を知るに至り、なるほど〜と思わされましたよ!(ラクダ子さん、かっこいい)
街並み、路地をたくさん写してきますね。
このインスピレーションはラクダ子さんから得たものですから、感謝感謝です。
elly→ラクダ子さん
2006/07/06 17:33
そうなんですね、ギリシア語でもネクタイの語源はクロアチア人ですか!「ドルマ」は、トルコ・イランでも近い名前なのに、ギリシア・トルコ以外のバルカン諸国では、サルマetc.と変化していることが以前から不思議でした。言葉ってやっぱりおもしろいですね。こうやってギリシア語の知識をさらささんから頂いて、自分の方の知識と照らし合わせることができるのは、とてもありがたく思っています。
ドゥブロヴニクに付けられている枕詞やキャッチフレーズを聞いているだけで、旅心をくすぐられますよね。
あまり良いカメラは持っていませんが、そしていつもはあまり写真を撮りませんが、今回はできるだけ美しい風景をそのまま切り取ってきて、写真入りでレポートしたいと思っています。
あたたかい言葉の数々、ありがとうございました!
elly→さらささん
2006/07/06 18:00
…もうご出発しちゃいましたね、きっと。コメント遅くなりました。
「ドゥブロヴニクを見ずして、天国を語る無かれ」なんて、俄然奮い立ってきますね。内戦の傷跡も生々しいとは察しますが、ムスリムの方々も多く住みアラブ・ミクスチャーな文化や料理も堪能できるとは…! また"行った気にさせる"レポートでぜひ教えて下さいね。
さて、前回コメントでご質問の"旅で出会った音楽"ですが、ぼんやり思い出してみるとややベタなんですが、世界遺産のカッパドキアの奇岩景を一望できる"茶屋"のお兄ちゃんがお店でかけてくれたシャキーラの"Ojos asi"でしょうか。 これがあの絶景と独特の風と相まって絶妙にツボに入ってしまいました。シャキーラ、すぐに買いましたよ(笑)。
気をつけて、そしてのんびりとよい旅を!
questao
URL
2006/07/08 05:44
無事旅に発ちましたね・・・。
今、旅行地に付いて、観光は勿論、写真撮ったり現地の人と触れ合ったり・・・旅行地でellyさんの日本で疲れた羽を癒しつつも、新たな発見を見つけに又羽ばたいている事でしょう。
旅行での楽しいお話楽しみにしています。
遅くなりましたが・・・
カウント3万達成おめでとうございます!!

素敵な旅行になるといいですね♪
くれぐれも気をつけてくださいね。
Miwapyonta
URL
2006/07/09 03:22
私はギリシャから帰ってきました。ellyさんは入れ替わりで出発ですね!今頃旅を満喫していることでしょう♪
ドゥブロヴニク!NHKの世界遺産の番組、私も見ました。美しい街ですよね。お話楽しみにしています。
そしてヌーディストビーチ。私もギリシャでミコノス島に行ってみました〜!期待していたほど(笑)脱いでる人はいなかったけど、日本のように体型を気にしている人はあまりおらず、皆さんノビノビしているのがとてもいいなと思いました。
wacky
2006/07/10 22:12
映画の舞台、海洋貿易都市、
なんだかヴェネチアのようですね。
今頃は その輝く海を眺めていらっしゃる
時でしょうか・・
(私は先日イギリスから帰ってきました)

☆以前のコメントのお返事が抜けておりました。
国民の館の規模は本当に目を見張るものがあります。今でも電気を全てつけることは無駄なほどの
広さ、その当時のもの不足の時代には考え
られなかった設計だったと思いますから
その建設に携わった人もどんな思いだったか
想像するといたたまれます・・
go2rumania
URL
2006/07/14 20:37
帰ってきましたよ!コメントをありがとうございました。ドゥブロヴニクは期待に違わず美しい街でした。そしてサラエヴォも。文化のミクスチャーを楽しむには最適の街のひとつだと思います。ドゥブロヴニクにはモスクがひとつあるのみで、イスラーム文化の流入の跡は殆ど見られませんでしたが、ボスニアは未だイスラームの国ですから…。ここはイスタンブールか?と錯覚してしまうくらいでしたよ。
旅で出会った音楽、シャキーラは意外でした!
シャキーラはイスラーム世界でも人気がありますよね。(そりゃ、レバノン人の血をひいてますから、なんて突っ込みが入りそうですね)。カッパドキアの奇岩で流れるシャキーラ、シュールな気もするけど、帰ってきたら良い想い出になりそうですよね。
私はやはり砂漠で聴いたダフとガイタ・ズルナの音です。
elly→questaoさん
2006/07/17 17:21
コメントをありがとうございます。
ドゥブロヴニクもMiwapyontaさんがお住まいの国の気候と似ているかと思っていたのですが、今年は異常気象?で、雨が多く海水も冷たかったです。そちらでは猛暑のようで大変ですよね。お身体大事にされてください。
今回の旅はひとり旅ではなく夫も一緒だったので、いつもとは違ったペースで新たな発見もありましたよ。旅日記はぼちぼちUPしていきますね。
それから、お祝いのコメントもありがとうございます。アクセス数が増えるのはやはり嬉しいものですよね。
elly→Miwapyontaさん
2006/07/17 17:26
wackyさんもお帰りなさい!無事のご帰還、そして楽しい時間を送られたようで何よりです。wackyさんが「ギリシアは人も風景も想像どおりだった(良い意味で)」と言ってたので、なぜか私まで嬉しくなりました。今度旅話披露大会でもしましょうね。
ヌーディスト・ビーチ!私は残念ながら?行きませんでしたよ。でも、西洋人の人たちってホント自分の体形なんか全く(かどうかは分かりませんが)気にせず、堂々としてますよね。「ちと腹が出てきたかな?もう年だからな」なんて思って縮こまってる自分が「ちいせ〜な〜」と感じる瞬間です。
elly→wackyさん
2006/07/17 17:33
go2rumaniaさんも旅行(お仕事かな?)にお出かけでしたか!文字通り世界中を飛び回っていらっしゃいますよね。ドゥブロヴニクはgo2rumaniaさんがおっしゃるように、やはりヴェネチアに似た雰囲気を持っている街なのだと思います。私はヴェネチアには行ったことはありませんが、歴史的に見ても両者には多くの共通項があるように思えますよ。
国民の館の話ですが、それこそ歴史、しかもそう遠くない歴史に思いを馳せて、様々な人々の思惑や苦悩の歴史に目を向けて訪れたならば、きっと学ぶところが多い「観光スポット」なのでしょうね。go2rumaniaさんの記事を読み、訪れなかったことを後悔しました。
elly→go2rumaniaさん
2006/07/17 17:38

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