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zoom RSS 世界の路地〜ブラ・レジア&ドゥッガ(チュニジア)編〜

<<   作成日時 : 2006/06/21 18:40   >>

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澄んだ碧空の下、地中海の陽光に輝く白壁に挟まれた路地を歩き、そして喧騒に溢れイスラームとアラブの匂いがプンプン漂う路地を迷うのも楽しいが、古の人々の息遣いを想像しながら瓦礫の中を彷徨うのはどうだろう。きっとここは、約2000年前に人々がお喋りをしたり散歩をしたりしていた「路地」の跡に違いない。そう、想像力を駆使しながら遺跡を巡るのも悪くない。
そんな空想を掻き立ててくれるローマ時代の遺跡が、チュニジアにはいくつも存在する。

紀元前4世紀、現在のチュニジア北西部、首都チュニスから約150km、アルジェリアとの国境に程近い場所に建設されたブラ・レジア(بلا ريخيا)の街。現在残るのは、ローマによる統治時代からビサンチン時代にかけての街並みだが、ここはもともと、ベルベル系民族によるヌミディア王国の首都だった。ヌミディアと言えば、カルタゴの名将ハンニバルが、第2次ポエニ戦争で軍を率いた際、多くの兵士をヌミディアより登用したことでも有名だ。ヌミディア軍騎兵の屈強さは、当時地中海世界では有名だった。
ヌミディア王国全盛期の王の名は、マシニッサ。彼は当初カルタゴ側に付くが、王位を巡ってカルタゴと争いになり国を追われると、ローマ軍の助けを得て王位に還り咲く。そしてカルタゴの滅亡を謀るローマに力を貸すことになるのだ。後にこの街はローマの属州となるのだが、街自体は発展を続け、ハドリアヌス帝の時代に繁栄は絶頂期を迎える。

この街に限らず、チュニジアにあったローマの属州都市が発展していった過程は、広大な農地を有していた事実を抜きにしては語れない。
チュニジアはシチリア島同様、ローマの穀物庫だった。
現在でもチュニジアの北部を車で走っていると、道の左右に広大な穀倉地帯が広がっているのを目にすることができる。

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遺跡を訪れたのは、穀物の刈り入れが始まったばかりの初秋の頃。
地中海地方は秋から冬にかけ、序々に雨の日が増えてくる。
遺跡に足を踏み入れると程なく大雨が振り出した。
幸い、ブラ・レジアの見所の多くは地上ではなく、地下に潜む住居跡。
夏の暑い時期、人々は地下の部屋で過ごしていたそうだ。
地上に出ている建築群は、大地震のため崩壊してしまったのだという。
大浴場跡テアトル、神殿の跡など、いくつかの大型の建築物が散在する以外は、数本の円柱や路地の剥げ落ちた石畳が、当時の繁栄ぶりをほんの微かに偲ばせてくれるだけの、雑草にまみれた侘しい風景が広がっている。
どんよりと垂れ込めた低い空が、風景をモノトーンに変え、歴史の儚さをさらに強調する。
いくらか気分が沈んでくる。歴史は巡るものだと分かってはいても。

しかし、地下に足を踏み入れるとその様子は一変する。
当時、金銭的にかなり余裕があったと思われる人々の贅沢な暮らしぶりが窺えるのだ。
その証拠は住居跡に残る数々のモザイク。
各家が競って華やかなモザイク装飾を、ダイニングやリビングに残している。
中でも最も美しいのが、ヴィーナスサテュロスキュービッドの絵。それは「アンフィトリテの家」と呼ばれる遺跡のダイニング床に施された巨大なモザイク・アート。

特に保存状態の良さという点では、こちらのモザイク画も一見の価値アリ。
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埃を被って色が不鮮明だが、観光客が訪れると、そこらに屯しているオジサンが水をふりかけて埃を掃ってくれる。すると目に鮮やかなモザイク画が登場するというわけ。

ブラ・レジアでは寂しげな路地跡に隠れて、いとも贅沢な空間が広がっていた。
美意識や富は、前面に押し出すものではないのだよ、と言わんばかりに。


同じ日に、ブラ・レジアの東南、車でチュニス側へ2時間ほど戻ったところにあるドゥッガ(دقة)の遺跡を訪れる。
こちらも、ブラ・レジアと同じような運命を辿った都市遺跡だ。つまりカルタゴとヌミディア王国の攻防の果て、後続のローマ帝国の領土となったという点で。紀元前3世紀ディオクレティアヌス帝の時代に最も繁栄し、それまでリビア人フェニキア人ローマ人が共存していた街並みは、すっかりローマ帝国の属州風に作り変えられてしまったという。
4世紀末にローマ帝国が東西に分裂すると、自ずとドゥッガの街も衰退へと向かっていくが、その街並みは驚く程きれいに、破壊されずに残った。
そのため、現在、アフリカ大陸において、最大規模で最も保存状態の良い、ローマとビサンチンの複合遺跡として、1997年よりユネスコの世界遺産に登録されている。
19世紀末の遺跡発掘当時、この遺跡にはアラブ人が住み着いていたそうだ。
実は今でもこの事実は変わらない。
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私が訪れた時、遺跡の中をロバに乗り散歩する村人や、ロバや羊に草を食ませる人、どころか、遺跡の一角を住居としている人(ここでは、非常に獰猛そうな番犬を飼っていて、観光客が「家」に近寄ると、ものすごい剣幕で吠え掛かってくるので、十分にご用心を!)さえいた。
遺跡の中に洗濯物がはためき、家畜の鳴き声が聞こえてくる様はとても不思議だ。
そして、広大な遺跡の中には、れっきとした所有者が存在するオリーブの木々があちこちに植わっているため、それ以上の発掘ができない部分さえ残されていた。

世界文化遺産に登録された遺跡でありながら、未だ人々の生活の場であるドゥッガ。
同じく世界遺産であるモロッコの有名なクサル(城塞都市)、アイット・ベン・ハッドゥのように、建物が崩壊に向かうのを阻止するべく、意識的に村人を住まわせているわけではない。
しかし、人々の生活のにおいが漂ってくるほどの濃厚な空気はここにはない。
彼らにとってはただの住居だった遺跡が、「世界遺産」という、大袈裟な存在に変わったその時から、彼らの暮らしはひっそりとした、秘めやかなものに変わっていったはずだから。

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本土にあるローマの都市作りと同じよう、チュニジアにある属州も、ローマの神々を祀る神殿を中心に建設された。ゲートを通して向こうの高台に見えるのは、ユピテル・ユノー・ミネルヴァの3神を祀ったキャピトル神殿。その眼下には、フォーラム(広場)マーケットが広がる。
そして、その更に下がったところには、やはり民家が軒を連ねていた。
ブラ・レジアの遺跡同様、裕福な人が多かったのか、床にはモザイク画が残る住居跡が密集していた。

棘を持つ野の花が風に揺れる路地跡を、グルグルと巡る。
幸運にも周りには人っ子一人いない(世界遺産に指定されているのにこんな状況がありうるなんて、日本の観光地では考えられませんね)。

路地跡に残る石畳に気を取られ、ずっと下を向いて歩いていた私がふと顔を上げた時、夕立のような激しい雨の後の湿った空に浮かぶ雲間から、一条の光が正面の山間を照らし出していた!
先ほどは憎らしいと思っていた雨だったが、その光景の神秘性といったらなかった。
夕刻の弱い光と、雨の雫が、涸れた石畳を鈍く照らしていた。
私が見ているのと同じ神秘的な構図を、2000年前の人々も、毎夕方になるとこの路地に佇み見つめていたのだろうか。そう思った時少しだけ、路地に響く古代の人々の笑い声が聞こえたように感じた。
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*参考文献*
・『週刊世界遺産 No.26 チュニジア』 (講談社・2001年)
・『地球の歩き方 チュニジア編 06~07年版』 (ダイヤモンド・ビッグ社・2006年)
・『ローマ人の物語(3・4・5巻) ハンニバル戦記(上・中・下)』 
 塩野 七生著 (新潮文庫・2002年)










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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
なんだかコメントが遅くなってしまいましたが、廃墟的なところっていうのは、栄えていた頃を勝手に想像して、しんみりしてしまいますよね。「はなはなみんみ物語」ってご存知ですか?それの第3巻を思い出しました。小人の出てくるファンタジーなんですけど、滅びた小人国の跡に子孫が訪れて、砂漠の中の廃墟である幻を見るんです。今では崩れてほぼ砂になってしまった建物のハズなのに、気が付いたらまわりには生きた小人がたくさんいて、楽しそうに語らっているんですね。そして我に帰った現代の小人たちは、今のはきっとこの建物の記憶なのではないかと推測していたように思います。
何千年もの歳月を人は記憶することは出来ないけれど、きっと石畳や建物は覚えているんですよ。…なんてことを思ってまた妄想してしまいますよね(笑)だから最後の笑い声が聞こえたような気がしたってのは、すっごいよくわかります。
ラクダ子
2006/06/29 01:43
ロバ、出ました!やっぱりこういう荒れて寂しげな風景のなかで佇むロバは、絵になるなあ。
さすがにいいですね、この「世界の路地」シリーズ。
本当に旅情をそそられる上質な紀行文です。
石畳を柔らかく照らし出す一条の光、そしてその写真、心憎いっす。無性に行きたくなります。
チュニジアやモロッコ、所謂マグレブの国々には相当な憧れが強くなってきた昨今、ellyさんのこのシリーズは禁断のブログになりつつあります。
例の『フェスティバル・コンダ・ロータ』も地団駄踏む(死語すか?)ほどに行きたいんですが、しばらくの間はボウズの風呂入れのため、断念せざるを得ないのかなぁ、と…(号泣)。ellyさんにみっちりレポートしてもらいましょう!(焼けっぱち!)
questao
URL
2006/06/29 22:34
書き足し。

世界遺産のなかに住む、我々には驚きですが、きっとこの現地で暮らす人々にとっては世界遺産に認定されたという事実の方が驚愕なのかもしれませんね。
どこか儚げな、地下住居跡の埃をかぶったモザイク画。
ellyさんのいう「美意識や富は、前面に押し出すものではないのだよ、と言わんばかりに。」に共感を覚えます。身の周りに溢れかえる見苦しいばかりの高層住宅やレジャー施設、コンビニ、ケータイ屋…。「作為」のあるところに美など無い、と感じる、今日この頃。
(いや、あれらには「作為」すら感じませんね)
…すいません、アツくなっちゃいました。
questao
2006/06/29 22:56
路地の魅力は確かに廃墟のなかにもあり、個人的にとても惹かれるものがあります。私もかつての栄華を偲び、そこで生きた人々に思いを馳せながらギリシャの数多くの廃墟を歩いてきました。
世界遺産なのに誰もいないという状況もやはり多々あって、その静けさが古代の空気を更に濃いものにしていました。本当に日本では考えられない状況です。世界遺産となれば、ここぞと村おこしをして大々的に宣伝、周囲には派手な看板や土産物店、レストランが並び・・となることでしょう。全ては「金儲け」の対象です。
廃墟に漂う、あの空気が懐かしい・・。
ところで、ブラ・レジアはハンニバルやポエニ戦争に関わりのある遺跡なのですね。塩野七生さんがこの辺り書いていたと記憶しているのですが、実際に遺跡を訪れるという目的を持って読んでみたいなと思いました。チュニジアがシチリアと同様、ローマの穀物庫だったことも興味深いです。

さらさ
URL
2006/06/30 12:45
ローマの属州として発展したということでギリシャの影があちらこちらに感じられます。モザイク画、とてもきれいに残っていますね!おじさんが水で埃を洗ってくれるのは有り難いことです(笑)大理石の石は濡れることで本来の美しい色彩を取り戻すのですから・・。そしてローマ風としての完成が見られます。
ドゥッカは神殿は人の住む世界遺産だということも初めて知りました。それでもひっそりと暮らす人々の姿も印象的です。キャピトル神殿のローマ神の名前は、そのままゼウス、ヘラ、アテナとギリシャの神々ですから、ローマを通じてアフリカ大陸まで伝播したのですよね。
雨後に差し込んだ一条の光に限りない神秘性を感じたことがellyさんの綴った言葉を通じて私も感じることができました。充実です!

さらさ
2006/06/30 12:46
度々、すみません・・。その後、すっかり報告もしないままになっていたのですが、鱈のコロッケのTBはどうしてもうまくいなかったです。今、また挑戦してみたのですが・・。仕方ないですね。『地球散歩』の方には早々にTBありがとうございました!
それから、今、参考文献の所を拝見したら塩野さんの作品を沢山読んでおられるのですね。さすがellyさんです。
さらさ
2006/06/30 13:07
廃墟という場所にノスタルジーのような、なんとも言えない感慨を抱いてしまう点、以前にもラクダ子さんとは同じ感性を共有できたなあと思って嬉しくなったことがありました。ですから、今回も「廃墟」という言葉が入ったコメントを頂けてとても嬉しく思います。
「はなはなみんみ物語」、本屋さんに並んでいるのはよく目にしていたのですが、読んだことはありません。ラクダ子さんが書いてくださってるサマリーを読んだだけで、蜃気楼のような不思議な質感を持ったファンタジーなのだなあと感じました。砂漠が舞台のものは、自然の荒々しさと同時に儚さを感じ、切ない想いに駆られます。この辺、日本人特有の感性なのかもしれないですね。
「何千年もの歳月を人は記憶することは出来ないけれど、きっと石畳や建物は覚えているんですよ」。この言葉にラクダ子さんの感性の鋭さを読み取りました。「建物の記憶」、とても含蓄のある言葉ですね。ステキなコメントをありがとうございました。
elly→ラクダ子さん
2006/06/30 22:10
お約束のロバですよ〜〜。へへへ。
そう、ロバってその悲しそうな鳴き声や風貌のために、廃墟や砂漠のような寂しげな風景がお似合いなんですよね。(ロバを生活の道具として見ていない人が言う意見ですかね。)
「路地シリーズ」丁寧に読んでいただけてるようでありがたいです。ラクダ子さんから頂いたコメントもそうでしたが、私の文章を引用してくださり、それに対して感想を述べてくださってて、これ以上に幸せなことはありません!書いた甲斐があったってものです!
questaoさんが、現代の都市(主に日本の、ですよね?)の風景に興ざめされてて、どころか怒りさえ感じられていること、よく分かります。文明って、その現れ方次第で美しくも醜くもなりますよね。そして、「作為」が風景の在り方を左右していると感じられているのはおもしろいですね。自然に勝る風景は無し、改めてそう思いました。
(続く)
elly→questaoさん
2006/06/30 22:33
コンダ・ロータ、行けませんか。それは残念ですね。あれだけまとめてイスラームを感じられる機会はそうそうないでしょうからね。
レポは必ずやさせて頂きます!6組ともそれぞれに分けてやりますよ!至らないレポになるかとは思いますが、読んでやってくださいね。
最近はまりつつあるとおっしゃるマグレブ諸国、近い将来訪れる機会があるといいですね。私もアルジェリアに行きたいなあ。
elly→questaoさん
2006/06/30 22:33
そうですか!ギリシアの世界遺産の遺跡でも、やはり人があまり訪れず、ひとり彷徨う贅沢が味わえるのですね!そういえば世界遺産ではなかったと思いますが、アテネの古代アゴラ跡は、アクロポリスの周りやプラカ地区の喧騒をよそ目にひっそりと佇んでいて、とても印象に残ったことを覚えています。そうそう、アテネのアゴラ遺跡、さらささんが以前書かれていましたね!ヘファイストス神殿を背後に臨んだ雪のアゴラの風景!静けさが伝わってきて本当にステキでした。
チュニジアのローマ遺跡にも、さらささんが書かれているよう、やはりギリシアからの伝統や影響が多く見られます。(続く)
elly→さらささん
2006/06/30 22:55
今、私達が「地中海的」と思っているもの、それは大部分、ローマ帝国とイスラームが築いてきた文明の名残だと思いますが、そのどちらに対しても、ギリシア文明が与えた影響は計り知れないですよね。
そして、ギリシアは、「文明」という半ば強権的な(権力や支配が伴う)立場からだけでなく、「文化」という真の意味での豊かさや幸せを与えてくれる遺産をたくさん残してくれた。この点で、ギリシアが世界史において果たした役割はとても大きいと思っています。
だからギリシア文化の跡を、地中海の様々な国で発見するのは、とても嬉しくなりますよね!
文明は滅びても、文化は滅びることがない。そう思います。
ところで、このモザイク、やはりとてもきれいに残ってますよね。そういえば以前、ローマのモザイクとチュニジアのモザイクの違いは、チュニジアは野生の生き物を描くことが多い点だと聞いたことがあります。(続く)
elly→さらささん
2006/06/30 23:04
話はころころと変わりますが、ポエニ戦争に直接関係した遺跡と言えば、やはりカルタゴのものになります。こちらも現在残っているものは、殆どローマ時代のものとなりますが(カルタゴの街は第三次ポエニ戦争の際、ローマ軍によって徹底的に燃されてしまったため)、一部カルタゴの時代の住居も残っていたと思います。私も、チュニジアを訪れる直前に、塩野さんの本を読み返してから実際に遺跡巡りをしましたので、感じるものが多くありました。言葉の力はやはり偉大ですね。こんな風に人に想像力を抱かせることができる文章が書ければいいなあと思います。
それから、トラバ、ご迷惑お掛けしてしまいました。なぜできないんでしょう?特に制限はしていないので不思議です。せっかくトラバしていただけたのに残念でなりません。
elly→さらささん
2006/06/30 23:12

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