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zoom RSS 砂漠の旅(クサールギレン9)

<<   作成日時 : 2005/11/05 22:48   >>

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夕暮れの砂丘からテントへ戻る途中、先ほどの東洋人の男性にばったり出会う。日本語で話しかけたらきょとんとしていたので、あわてて英語で言い直すと、感じよく挨拶を返してくれた。
日本人だと思っていた彼は中国系のフランス人だった。
職場旅行でチュニジアを回っているという。

夜になり、アブデルが私のテントにやってきた。昨夜、夜の砂丘を見たいと私が言ったので、今日もそうしたいのではと気を遣って来てくれたのだ。
もちろん、夜更けには砂丘へ出るつもりだった。でも、ひとりで。
ありがたく思ったけれども、今日は疲れたからと言い、申し出を断った。
アブデルとも明日でお別れ。
明日のことを考えただけで涙が出そうだ。

砂丘に出るまでの時間、テントの前に椅子を出し、ひとり座って空を見上げた。
今まで「砂漠にかかる月」にばかり気を取られていたけれど、もちろんのこと日本の空ではお目にかかれないような鮮やかさで星が瞬いている。月が顔を出す前だったので、その明るさといったらなかった。星がこんなに明るいなんて、ずっと忘れていた。
元来、空を見るのが好きなので、普段からもよく夕焼けを見たり、星空を眺めたり月を愛でたりはしているのだけど。
日本でも田舎にいた時は、例えば真冬の澄んだ空気の中ではけっこう明るい星空を眺めることができていた。でも、東京ではそれが叶わない。

こんなに美しい星空に、人生のうちであと何度出会えるのだろうと思うと、今、この場にいることが感慨深く思われた。


夜の砂丘はやはり風の勢いが増していた。
目や耳や鼻にパウダー状の砂が容赦なく入ってくる。モスク参拝用に黒いスカーフを持ってきていたので、昨夜アブデルがしてくれたように、それを顔の前に翳して空を仰ぎ見た。
黒いスカーフを通してみる月夜の美しさ。
それは、単に美しいというのではなく、アラブ女性やベルベル女性のどこか妖しげな美しさに共通しているものがあると思った。この意見が、単なるエキゾチシズムへの憧れを表していると笑われてもかまわない。いまや、アラビア語の「ジャミール(ジャミーラ)(美しい)」という言葉は、私の中にしっかりしみ込んでいて、美を表すのにこれ以上の言葉はないように思われる。

月はドゥーズで見た時よりもずいぶんと欠けてしまった。
この欠けていく月が、残酷にも私の旅が折り返し地点を過ぎてしまったことを悟らせようとする。
この砂の街にいると、明日のことなんか考えたくない、というより、明日のことなんて自分では何も分からないのだから、憂いても仕方がない。なぜなら全ては既に書かれていて(マクトゥーブ:運命づけられていて)、アッラーのみが決定権を握っているというイスラームの教えを、笑い飛ばすことなどできなくなる。インシャアッラーを連発する彼らの言動のひとつひとつが理に適ったものに思われてくる。

しかし、その至上者の存在さえも包み込み、天空は永遠にグルグルと廻り続ける。
グルグルまわって、全ては満ちて欠けていく。残るのは、ベルベル音楽の刻む単調なリズム。アラブ音楽が奏でるリフレイン。そのリズムは時を刻み、永遠を思わせるかのように繰り返し続いていく。
大地が、天空が刻む生のリズム。その単調なリズムはなんと饒舌に生を語るのだろう。サハラ以南のブラックアフリカの大地が刻むような明るさはないが、生きることの憂い、書かれた(マクトゥーブ)運命、それに喜びをかくも的確に表す芸術が他にあるだろうか。

そして、その永久に廻り続ける時間の、たったひとつの瞬間に、こうしてマグレブ(西の果て)の、チュニジアの、最果ての砂漠に独り座ることを「選択した自分」がいる。
仰向けになり無数の星の群れを身体に吸い込む。
一瞬という時間を自分の中に引き止めるため、一瞬における自分の存在を確かなものにするために。。。。


テントに帰り、早めに床に入ると、例の従業員が呼びにきた。「東洋人のお仲間がマダム(私)を呼んでいる」と。
行ってみると、先ほどの中国系フランス人。プール脇にあるバーで一緒にお茶をしないかというのだ。
彼が私のことを例の従業員に訊ねたところ、彼に「tres sympa(とても感じの良い、楽しい)日本人だから話してみたら」と言ってくれたらしい。
ありがたいお言葉。
彼(Tim)は、以前も旅先で日本人と出逢い、とても感じが良い人だったので日本人に好印象を持っているとのこと。「日本人はなんでこんないい人ばかりなんですか?」なんて聞かれ、困ってしまった。
しばらくとりとめもない会話をしていると、彼の友人のフィリップも仲間に加わってきた。フィリップの風貌はヒッピー風。とても陽気で楽しげな人。彼のお父さんはドイツ人で、モロッコをドイツが占領していた時代、軍人としてかの地に赴き、現地の女性を見初め、そのまま結婚したのだという。それがフィリップのお母さん。つまりフィリップはマグレブの血を受け継いでいることになる。長い縮れた髪の毛の下から覗く顔は、よく見ると、愛嬌がある非アラブ系モロッコ人の顔をしていた。
現地の人との出会いももちろん楽しいのだが、世界中の旅行者と楽しく語らうのもいい。砂漠という生が剥きだしの状態の地にいることで、自分がオープンになっているせいもあるが、心が開いている時って、簡単に友達ができちゃうんだよな。たとえ、それが仮初めの友情だとしても、旅の大切な思い出として、出会った全ての人のことはいつまでも心に残っていくんだろうな。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
旅の出会い、もう会うことはないだろうと思うと、悲しくなりますね。でも、友人が言いました。会わなくても、世界のどこかに知人がいると思えるのは素晴らしいことだと。
筑紫万葉
2005/11/06 22:15
そのとおりです!一期一会ってこういうことなんだな〜と、しみじみ実感しますね。でも、できる限りは連絡を取ってみようと思い、あちらから住所を教えて頂いた場合は、帰国後一度は手紙を出すようにしています。最近はe-mailがあるので、気軽に返事を出せるようになり、交流が続くこともありますが、大部分は2,3年で連絡が途絶えてしまいますね。。。この、ティムさんも一度手紙交換しましたよ!
elly→筑紫万葉さん
2005/11/07 11:03

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